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紀 州 の 旅 よ り

十六日の朝紀の國の靜かな港へつき

ました。潮の岬をまはる頃はかなり

ゆれましたが、思つたほどでもあり

ません。新宮の街は、深い山とひろ

い海と、名高い瀞八丁のある川との

あひだにできたところです。A氏―

洋畵家――といつしょに徐福墓畔の

佐藤春夫氏を訪ねました。佐藤さん

は、目白やうそなどを飼つてゐます。

原稿もかけないで毎日小鳥と暮らし

て居ます。僕の名をおぼろげに覺江

て居られました。三人で大いに饒舌

りました。四時頃までこの街のレス

トランでご馳走になりました。春夫

さんはすぐ酔つてしまふひとです。

酔ふと一さうお饒舌になつて、詩人

らしくない露骨なざれごとを言ふひ

とです。十七日は色紙を五六枚持つ

て行つて、かいてもらひました。夜

は女をひとりよんでA氏と二人で春

夫さんを招待して夜を更かしました

今は歸りの船中に居ます。潮の岬の

白い燈臺や鰹船などを眺め乍ら、お

だやかな航海をたのしんでゐます。

こんどの旅ほど愉快な旅をしたこと

はありません。夕方には和歌浦へつ

きます。そこから東京へかへります。

  (七月十八日、潮岬の沖にて)


(越後タイムス 大正十四年七月二十六日 
       第七百十二號 五面 より)


#佐藤春夫 #徐福墓畔 #新宮 #潮岬 #手紙 #消息






       ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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