一 挿 話

  □

 あの恐ろしい地震があつた二三

日前の或る日のことである。私は

毎日のプログラムどほりに、I停

車塲へ出やうとして、S坂をおり

ていつた。この坂は道幅としては

餘りさう大して廣いといふわけで

もないが、なにしろ急な坂である。

坂の左側は上からずつと下まで或

る金持の家のコンクリート造の塀

なのである。庭の樹木の枝がいつ

ぱいに葉を茂らせて、その塀から

はみ出してゐるので、夏の頃など

は、涼しい日陰をつくつてゐる。

で、その朝私がそこをとほりかゝ

ると、塀の前に四五人の人が足を

とめてなにかをみつめてゐた。や

がてそこまでいつてみると、古ぼ

けた蜜柑箱の中に、まだ生れて間

もないやうな仔猫が一匹はいつて

ゐた。そしてその上の塀には次ぎ

のやうなことがらを書きつけた紙

片が貼りつけてあつた。

 ――私は無情のあるじに釘付の箱に

 入れられて、此處に捨てられた

 る幼猫こねこであります。世の涙ある

 仁者よ、今の孤獨をお救ひ下さ

 い。生長の上は主家しゅかのいたづら

 ものを根だやしにして、御恩に

 報じます。――

 人々はこの可哀想な捨猫の小さ

な檻と、多分はこの近所の人が書

いたと思はれる、貼紙とを、交る

がはるに眺めやり乍ら微笑をうか

べては立ち去つた。幾人も幾人も

がそれをくりかへすばかりであつ

て、誰一人、その仔猫を抱きあた

ゝめてやる人もなかつた。私も亦

その一人であつた。

 九月一日の朝私がそこを通りか

ゝつた時も、未だそのまゝであつ

た。ところが、九月三日のことであ

る。私は街の有樣を見るために、

まだ地ゆれの斷續してゐる地上を

恐る/\踏みしめ乍ら、S坂まで

やつてきたのである。と、私の心は

おのづから、今まですつかり忘れ

果てゝしまつてゐた、あの哀れな

仔猫の記憶をよびかへしたのであ

る。が、不思議なことには、そこに

はあの釘付にされた仔猫の檻はみ

あたらなかつた。私は注意深く、

そこらあたりの軒端や溝などをさ

がしてみた。けれども、どこにもそ

れはないのである。檻だけではな

い、あの貼紙も、いつの間にか、

むしられてしまつてゐる。これは

きつと、仔猫は誰れかにたすけら

れたに違ひあるまい。あの恐ろし

い火と土との洗禮は、人間の心を

情け深くしたのだらう。あの人間

の生命のすべてを戰慄させた、自

然の暴虐の刹那に、誰れが、自分

の身の安全を、何ものにか祈らな

いものがあらう。そして漸く災厄

からのがれたことを知つた人々の

うちでたゞ、死を待つてゐるあは

れな、小さな生きものを眼前にみ

てもなほ、それを救ふことを知ら

ないやうな人があらうか。あの仔

猫はきつと、だれかに救はれたの

だ。――私はこう考へて、仔猫に

對する或る不安をうち消したけれ

ども、その救ひ主が私自身でない

ことが、へんに淋しく思はれたの

である。

    □

 地震があつてから一月ばかりと

いふものは、街上の家のなかも、

絕江ず、ざわめいて人々の心には

何かしら不安がつきまとつてゐた

 ある月の良い晩である。私は疲

れきつて、勤め先から歸つて來た。

いつものやうにI家の門を入つて

細道を右へ曲らうとすると、そこ

に五六人の近所の妻君達が集つて

何か話合つてゐる、みればその中

に私の母の顔も交つてゐる。どう

もみなの樣子が不安げなので、私

は「何事が起きたのです?」と、誰

れに言ふとなく訊いてみた。する

と、私の母が私の側へ寄つて來た。

「實は、Mさんとこの小さい嬢さ

んが、夕方から見江ないのです。

家の御飯前までは、家の雪江と遊

んでゐられたのにね。わたしも、

Mの奥さんが家にU子が來てゐ

ませんかとおきゝになるまでは、

こんなことにならうとは知らない

でゐたんです。どこを探してもゐ

ない、それで大騒ぎになつてね、

さつきから旦那樣は警察の方へ行

つてゐらつしやるんですよ。何に

してもお小さいんですから、奥樣

も御心配で厶いますわね」母は私

にこれだけのことを話してくれた

「このどさくさまぎれにどんな惡

い人が、何をするか知れませんも

の。U子さんなぞ、きわだつてお

美しいお嬢さんですもの。心配で

なりませんわ」未だ子供を生んだ

ことのない、若い美しいW夫人の

聲が澄みきつて、きこ江る。もうさ

つきから、幾度も手分けして、探

し歩るいたといふので、皆、たゞ

そこへ集つて、不安げに話し合ふ

ばかりで、別にどうしやうといふ

氣にもなれないのであらう。早く

M 氏が歸へつてくれゝばいゝが―

と、それに最後の希望をつないで

ゐるだけである。夜も更けて行つ

た。と、がや/″\と人の騒ぎ聲がき

こ江てきた。皆、門の方へ驅けだ

して行つた。

 M 氏が今年四つになるU子さん

を抱いて、さし上げるやうにし乍

ら高らかに笑つてゐた。M 氏の話

をきくと、U子さんは、遊びほう

けたのか、一ぺんも歩るいたこと

もない、門外の大街路へ迷ひ出て

いつて、そこから餘り遠くない原

つぱまでくると、そこで日が、す

つかり暮れてしまつたので、急に

泣きだしたのださうである。する

と、そこを通りかゝつて。或る會

社員の人が、いろ/\訊いてみた

が、どうもよく解らないので、と

に角自分の家へつれて行つて、夕

飯を食べさしたり、菓子や玩具や

らを與へてみたが、どうにも泣き

止みさうでないから、仕方なく近

所の交番へつれて行つたのださう

である。

 U子さんは色の白い、美しい兒

である。

 M 氏に抱かれて、すつかり安心

したものか、兩手には、その人か

らもらつたといふお菓子だの、玩

具だのを持ち乍ら、M 夫人をみつ

けるが早いか、「お母さま只今」と

叫んだ。M 氏はそこにゐる人々に

禮をのべた。

 月のいろは浮きうきするほど靑

いけれど、街の方は、何のもの音

とも知れぬ、ざわめきがつゞいて

ゐる。それに或る暗い不安を感じ

乍ら、私達はそれ/″\に自分の

家の門をくゞつたのである。

     (十二年九月覺江書)


(越後タイムス 大正十二年十一月四日 
      第六百二十三號 五面より)


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