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ジーンズ誕生前夜 〜鋲打ちという革命〜

こんにちは。

今回はブルージーンズについての【第1章】として、〝ブルージーンズ誕生前夜〟のお話をしていきたいと思っています。

それを語るには、〝2人のユダヤ人〟を紹介しなければなりません。

ひとりは、「ジェイコブ・W・ディヴィス」

そして、もうひとりは、皆さんもお馴染みの

「リーヴァイ・ストラウス」です。

舞台は19世紀末のアメリカ・サンフランシスコ。

この時代にこの2人がいなければ、その後のブルージーンズ史は大きく変化していたはずです。

〝ブルージーンズ誕生前夜〟は、この2人の奇跡の出逢いの物語なのです…

と、そのお話の前に…

ブルージーンズの定義、つまりブルージーンズと呼ばれるための〝3つの最低必要条件〟と言うものがあります。

1.ブルーデニムを使用していること
2.ファイブ ポケットであること
3.カパー・リヴェット(リベット)で 補強してあること

この3つを満たして初めて、ブルージーンズと呼べるようになります。

そしてこの〝3つの条件〟で最もジーンズをジーンズたらしめたもの…

それが、「カパー・リヴェット」なのです。

「カパー・リヴェット」とは、ジーンズの要所要所に補強を目的として打ち付けられた〝銅製の鋲〟のことです。

ブルージーンズの原型ができたのは1870年ごろですが、それ以前にも、ブルーデニム製の作業ズボンやフォブポケット(上写真の、元々は懐中時計用のポケットのこと。現在のコインポケット)をつけたファイブポケット仕様の作業ズボンは、すでに存在していて、さして珍しいモノではありませんでした。

その普通の作業ズボンに銅製の鋲を打つことを思いついたのが、

「ジェイコブ・W・ディヴィス」その人です。

ネヴァダ州リーノでささやかな仕立て屋を営んでいた、デイヴィスのもとにある日、一件の注文が舞い込みます。

「木樵(きこり)の夫のために丈夫な作業ズボンを作って欲しい」

と言う夫人からの依頼でした。

ディヴィスは、急いで制作に取り掛かります。この時ディヴィスは、10oz(オンス)の生成りのキャンヴァス地を使用したそうです。

この時期、このキャンバス地は幌馬車の幌やテントなどにも使われていました。

かくして、丈夫な作業ズボンが仕上がりました。

そしてそのズボンが仕上がった時、偶然作業台の上に2つ3つ転がっていた〝銅製の鋲〟が、ディヴィスの目に飛び込んで来ます。

「そういえば、ポケットあたりがすぐに破けてしまって困っている…とあの夫人が言ってたなぁ」

ディヴィスは、その〝銅製の鋲〟でポケット付近を丁寧に補強してあげました。

ディヴィスにとっては、ほんのささやかなサービスのつもりだったのです。

しかしこれが大反響を生み、ディヴィスのもとに鋲打ちの作業ズボンの注文依頼が殺到します。

わずか1年半の間に200本近い依頼があったそうです。

これに慌てたのは、ディヴィス本人です。

「注文が増えるのはいいが、真似されたらどうしよう…」

考えてみれば、ポケットを鋲で補強するだけの話。

やろうと思えば誰にだってできる…

言い知れぬ不安が日に日に募りました。

「さて、どうするか…」

ディヴィスは「鋲打ち作業ズボン」の特許申請に踏み出すのです。

そしてこの時彼が頼ったのが、

当時すでにサンフランシスコで洋服雑貨商として大成功をおさめていた、「リーヴァイ・ストラウス」でした。

「このパンツの秘密は、ポケットを鋲で補強したことです。キャンバス地は1本3ドル、デニム地は1本2ドル50セントですが、大変売れています。同業者はこの売れ行きを快く思っていません…どうか私の名前で特許を取って頂けませんか。もしそうして頂けるなら、権利の半分をあなたに差し上げます」

こんな内容の手紙と、キャンバス地とデニム地の商品見本をリーヴァイ・ストラウスに宛てて送ったのは、1872年7月2日のこと。

デイヴィスからの依頼を受けたリーヴァイ・ストラウスは、

「これは、やって見る価値が十分ある。」と判断。

彼のその後の行動は非常に迅速なものでした。

なんと1ヶ月後の8月9日にはもう最初の申請をしているのです。

そしてめでたく特許が認可されたのは、『1873年5月20日』のこと。

そしてこの日は、ブルージーンズにとって歴史的な日になりました。

特許申請者の名前はもちろん、ジェイコブ・W・デイヴィス。

そして注目すべきは、その〝特許件目〟が『ポケット開口部の補強』であることなのです。

つまり、作業ズボン全体でも縫い目でもなく、『ポケット開口部への鋲打ち』に限って許可が下されたのです。

(※〝PATENT RIVETED CLOTHING〟(新案特許 鋲打ち衣料)これがのちのリーヴァイ・ストラウス社の謳い文句になります。)

こう言ったところにリーヴァイ・ストラウスの頭の良さが伺えますね。

もしディヴィス個人で申請をしていたら、ここまでの知恵は出なかったでしょうから、

結果として、リーヴァイ・ストラウス社に特許申請を代行してもらう と言うディヴィスの判断は正しかった。と言うことになります。

その後ディヴィスは、リーヴァイ・ストラウス社で新設される鋲打ち作業ズボン部門の生産監督者に任命され、リーヴァイ・ストラウス社の社員となります。

そして当初は〝パンタルーンズ〟のちに、〝ウエスト・ハイ・オーヴァーオールズ〟と名付けられたこの鋲打ち作業ズボンがその後、私たちがよく知る〝Levis 501〟として発展していくことになります。

(※Levis501については次回、詳しく取り上げますのでお楽しみに。)

ちなみに、2人が特許を申請した鋲打ち作業ズボンの申請許可がおりた歴史的な日である『1873年5月20日』は、実はこんなところに記載されています。

現行の商品の紙パッチです。

※昔は「ギャランティー・チケット」というフラッシャーでその後は革パッチでした。

皆さん、お気づきでしたか?

こうのようにして2人の人物の活躍により、ブルージーンズの歴史は幕を開けたのです…


【追記】

サンフランシスコには、リーヴァイ・ストラウス社以外にも有名なワークウェアブランドがあります。

この愛嬌あるゴリラのトレードマークでお馴染みの『ベン・ディヴィス』です。

これは、ジェイコブ・W・ディヴィスの息子でる、サイモン・ディヴィスが1932年に興した会社です。

ベン・ディヴィスは、サイモンの息子の名前だそうです。

ベン・ディヴィス社は現在もジェイコブ・W・ディヴィスの子孫によって経営されています。

参考文献

完本ブルー・ジーンズ

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