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「水車小屋のネネ」(津村記久子)~物語と現実の距離~

がんばって読んだ、という読後感。

長さと、ちょっと読みにくい文とが、たびたび一息つかせたけど、1週間ほどで読了。やっぱり1時間くらいの電車時間がいいですね。
修飾文節が長いので、一文の中で、どの言葉がどこにかかっているのかが混乱して、読み返すということがたびたびありました。

この人の文体の特徴っぽいですね。


親切や思いやりが巡るお話だった。

「人に親切でないと、人生はあまりに長すぎる」
というセリフが一番良かった。

私も、その通りだと思う。

スーパーマンのように何かを一気に解決するのではなく、相手との距離感を模索しながら、自分に何かできることはないかと手探りする感じ。

自分の持てるものを、誰かのために使おうとする気持ちや態度。
もちろん、それが必ずしもいい結果につながるわけではないし、かえって傷つくこともあるだろうけど、この物語の中ではそういうことにはならなかった。

そうした人の善性が踏みにじられない、という救いの話という点では、以前書いた「ライオンのおやつ」と同じかもしれない。


読んでいて憤りを感じたのは、律と理佐の母親と婚約者くらいだった。
最初がそんなだったから、それ以上律と理佐が苦しめられなくてよかった。
彼女が彼女たちの人生を歩めてよかった。

ケンジもそうだ。


でも。と思う。現実をふと思うと、とたんに暗い気持ちになる。
そうでないまま、闇に飲まれ消えていく子どもの多さを。

そして、理佐のような勇気が。
律のような賢さが。
ケンジのような素直さが。

培われていない場合、それぞれの子どもたちのその先はどうなるのだろう。


「水車小屋のネネ」の少し前に読んでいた「どうしても頑張れない人たち」(宮口幸治)を思い出す。
支援を必要としている人ほど、支援したいという気持ちにならないタイプであると。

これは物語そのものの話から大分それてしまうけど、ケンジのような「支援のしがいがある」子どもが、親切の恩恵を受けられるのだな、とも思ってしまった。

ただ、律やケンジの「子どもらしい素直さ」が引き出されたのは、ネネの存在も大きいだろう。

喋るヨウムを目の当たりにしたら、誰もが「すごい!」と素直に感嘆するだろう。その最初の「素直に思いを口に出す」という出来事が、そのあとの他者とのコミュニケーションにおいても素直な気持ちを引き出すのかもしれない。

なんとなく、刑務所や更生施設で、動物がセラピーとしてそばにいることの意味などまで思いをはせたり。

さて。
そもそも、津村さんの他の本が読みたくて、でも今はなかったので代わりに読んだのでした。
その本が届くのが楽しみです。


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