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地獄の百物語をはじめたよ

新年が明けまして、この世界は1年をかけてコロナウイルスの災厄に見舞われてきた中で、日本はここにきて最大の感染者数を記録しているといったなかなか不安な気持ちを煽られるような状況であります。

日本において過去最高の感染者数ということは、過去最高に不安が増大してきているはずで、過去最大にストレスがかかってきているので、過去最大にそれぞれの緊張感が高まっている状況であるということです。要は、自他それぞれに対する攻撃性がものすごーく高まっている可能性があるということです。


そんな中で走り出すことになった「地獄の百物語」という企画。地獄の引越屋というプロジェクトを仕掛けた昨年から少しずつ仲間も増えて企画が実現に至りまして。さて手前味噌ながら、この企画はめっちゃくちゃ良い企画です。あ、どうもありがとうございます。

それで何がいい企画なのかって、「人の心を軽やかに軽くする」ということです。
「軽やかに軽くする」というこの微妙な日本語。しかし、それは事実なのです。


「軽やかに」・・・

つまりこれは、なんだか重たい話になりがちなはずなのに、なんだか、あれ?楽しい?なんだろうか、この話せて嬉しい、聞けて嬉しい感じは?という気持ちが、聞き手、語り手、双方に感じられるものになっているのです。

そもそも地獄の引越屋を始めることの大切さは、「地獄」という言葉を使って、クリエイティビティを全力で発揮して自分の苦しさを表現することに対して楽しんでいいんだな、って思ってくれたらいいなと思ったところにあります。

自分のコンプレックスや、トラウマのことに触れているはずなんだけど、なんだか笑っちゃう。ウケちゃう。なんだ、こんなに笑って話しちゃって良かったんだと思ってもらう。そこから、少しずつ引っ越しのイメージが湧いてきたぞと思ってもらえたらいいなと思っていたのです。

が、やってみたら、思った以上にそうであった。完全に手間味噌ながら「地獄」とすることの圧巻の価値。


「軽くする」・・・

これはシンプルに自分の話をして楽になる、ということになります。誰にも言ったことがない、言うべきではない、こんなことは誰にも聞かせちゃいけない、と思い込んでいる話。これを聞いてもらえることはとても嬉しいことで、スッキリすることです。

解決するのではなく、ただ聴く。それだけで何が起こるのかを確かめようと思いましたが、こちらから答えを提供することもないのに、相手の中で答えらしいものが生まれ、また定まり、言葉にしていく中で確信に変わっていく。それをただ傾聴して過ごすことの素晴らしさをただただ感じました。


そしてむしろ、それをどうか聞かせてね、ということがとても話しやすくていいんだな、ということを感じたわけです。


そして軽やかに軽くすることで、ほんのちょっとでも人が楽になることが明確にしていけたら、これは本当に不幸を減少させる新しいコミュニケーション手法を一つ作れそうだなと思いました。

重たくもならず、相手がすごく楽になっていく。そんなことが実現していく。合理的に言えば、労力が少なく、誰かの苦しみが減らせていく。理想を言えば、労力少なく、しかも自分の価値を感じつつ、誰かの苦しみを減らすことができる。

そんな風にやっていける気がしました。新年早々いい滑り出し。しっかりと3月末までに100人のインタビューを実現したいと思います。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。