生き残るために関わりを増やす時期

今日は「これからの話」を収録するためにアツムさんと話しておりまして、ここのところずっと毎日そんな話を続けてきているわけではあるのですが。


さて、話をしている中で、コミュニティに閉じこもり、自分の関与できる場所を探さずにじっとし続けていることはリスクかもしれない、という話になりました。そしてそれはかなり現実的にそうかもしれないなと感じました。


それをリスクと考えられる一つの要因は、時期によってまったく変化してしまうかもしれない自分の特性が生きる場所と自分が出会う可能性を、自分であえて閉じてしまっているといえるからです。

僕はそれをすごくリアルに感じているんですが、僕は自分の特性や可能性が、常に同じ場所でずーっと同じように求め続けられるようなものであるとは信じておらず、時々とある場所ではめっちゃ必要になったりもするし、要らなくもなっちゃったりするのだけど、それでも必ず世界のどこかで自分を必要としてくれる場所はあると思うのです。

だけどその必要と感じてくれる居場所との出会いがあるかないかは、自分がその特性や可能性をどれだけ多くの人に関与する中で伝えてきたか、示してきたか、また何かしらの価値を与えてきたのかということがめっちゃ重要になります。誰も知らないのに必要とされるはずもないのですから。


また、所属するコミュニティの困りごとしか知らないと、自分が役に立てる領域を見つけ出す可能性が狭まってしまうことも要因のひとつです。

ぼくがいろんな価値を生み出せる多くない特性と、きわめてポンコツとして自己否定して絶望する特性とを保持しつつ、なんとか今まで生きてこれたのは、時代が豊かであったということは前提としておいても、やはり多くの人と関わりを持ち、それぞれの所属するコミュニティに生きる人たちのリアルな悩みをごとを感じて、そこに何ができるかを考え続けていきているからというのが大きいと思っています。

結局のところ仕事の価値というのは、自分がどれだけ頑張ったとか時間をかけたということではなく、相手が「ああ、助かった」「ああ、嬉しかった」と感じたかどうかが重要になると思っています。すると相手が本当に困っていることを知っている人は、その困りごとを解決する方法さえ考えることができれば、相手に喜んで対価をもらえる可能性が、その困りごとを知らない人よりも高いということです。


さらに、リアルな情報収集を多様なコミュニティから得られることで、現実に起こっている事実を多角的に捉え、バランスよく眺めた上で、意思決定をすることができる可能性があるとも言えます。

自分が所属するコミュニティから得る情報というものの影響力はやはり大きいと思っています。関与する機会が多ければ多いほど、また自分が持っているリアルな情報の中でその情報が占める割合が大きければ大きいほど、その情報に対する自分の中の信憑性が高くなるのは仕方のないことだと思います。

だからこそ、多様な視点、多様な立場から情報を集め、正しくリスク分析をして判断をしていくほうが、生存可能性は高まり、また幸福度を高めるという観点においても、実現する可能性は高くなるのではないかと考えます。


この時期は人が所属できるコミュニティを増やしていくハードルが下がっていると思いますので、この時期にとれるリスク軽減策に手を打ってもらうと良さそうです。オンライン会議疲れには気をつけないといけませんが。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。