心地よい息をするためのそなえ

さて最近ではもはや自分がしたいことを最優先して生きるが故に、わざわざ心に問いかけ続けなければ出てこないレベルでもありますが、あえてこれからしたいことを言葉にするとすれば、それはすべてが「心地よく息をするためのためのそなえ」だということに帰結するなあと思いました。

そして欲望を掻き立てるなにかというものを追いかけていたときは、それが結局は「何もない」ということを理解し、諦めて、もはや心地よい息をする以外にすることはないんだということに辿り着かせるために存在していたものだったとさえ思ったりします。で、事実そうだと思います。


息ってのは、吸って・止めて・吐いて・止めて・吸って・止めて・吐いて・止めて・・・の繰り返しのことです。呼吸というから止める時間を意識することをあまりしませんが、止める時間は尊いもので、そこでグーっと深まりゆったりと吐き出すだけでも気持ちがいいものです。

で、それがゆっくりと調息できるようになると、思考がゆっくりと整い始めるようになって、そのうちあまり考えてない時間も作れるようになります。そうして何も考えない時間が過ぎて、ただただ呼吸をして、そこに在ることそのものでじんわりと生きていくような感じで過ごせるようにしていたい。


で、そういう場を求めている人が辿り着く場所をつくり、安心して過ごしてもらって、そこで何がしたかったのかを、なぜそんな呼吸をしたかったのかを考える時間をつくり、その先にあるものに歩んでいってもらうような機会をつくりながら過ごしていきたいなと思うようになっております。

つくづく価値観というのは変化、そして深化していくもので、まあ突き詰めるとそういうことになっちゃうよなあと思います。ありがたいのは、書籍や音声・動画でそういったことを学び、深め、確かめる機会が随分とたくさんあって、いつでも自分の確かめたいものがわかること。恵まれた環境です。


ちょっとずつしか進みませんし、手を抜くとすぐに埃がかぶろうとするようなものですが、清潔に保つということに興味が湧いてきました。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。