お坊さんにお話ししてみた

不肖の身でありながら、本日はお坊さんたちに対してお話をさせていただくという機会をいただきました。大変貴重な機会で嬉しいです。

今日は山梨県の曹洞宗のお坊さんたちが主に集まっていただいており、そこでいま僕が取り組んでいるエア寺の活動と、なんでそれをやっているのかということについてお話をさせていただきました。


なんとなく記憶がまだ残っているうちに話した内容についてまとめておこうと思う。そのうちプレゼン資料とか作らないといけないかもしれないから。


【いまやっているエア寺のこと】

エア寺というオンラインのお寺を主宰しております。始めたのは2年ほど前になりますが、その時はとりあえずFacebookに投稿だけしただけでした。

そして、ただそんなアホな投稿に付き合ってくれる友人たちが「お参りに来ました」と僕のタイムラインに合掌の記号を打ち込んでいく、それだけの場所としてスタートをしました。そこから1年半完全に放置し、立ち上げて間もないのに、すぐにオンラインで廃寺となっておりました(笑)

しかしコロナ禍のこの3月に出会いがあり、真言宗のお坊さん、浄土真宗のお坊さん、そして在家だけど仏教大好きな人たちと共にエア寺はまさに復活を遂げました。それがこの4月のことでした。


この活動もすでにここから半年が経過しましたが、手前味噌ながら発展が著しい状況という認識であります。


まず毎日のように、早朝の読書会(倶舎論の読書会)、舞踊および念仏会(朝のナモアミダンス)、瞑想会(昼の100万人の瞑想会)が行われており、そもそも毎日の行事があります。

毎週火曜日はお話会(いのちの会)、不定期ながらほぼ毎週開催の勉強会(大乗仏典勉強会)、毎週金曜日の瞑想日(早朝と夜の瞑想会)、毎週日曜日の聴聞会(こんなときこそ聴聞会)と定期開催の行事も充実しています。


そしてそんな活動を伝えていくための予約および寄付用のサイトも完成。


いろいろとスピーディに進んできていますが、とにかく目指すところの最も大切なことは「どこかの誰かが生涯で手を合わせる機会を一回でも増やす」であると考えており、少し難しいけれど目指すところは「訪れが人が自ずから菩薩になっていく」ようなお寺を目指していきたいと思っています。


【なんでエア寺をやることになったのか】


そもそも仏教にそんなに興味があったわけではなく、祖母が亡くなったタイミングではまだまだぼんやりと意味もわからずお経を詠むだけ詠んでいる、そんな程度の意識の低い門徒の一人でした。

ですがその際に、お経を読むために借りていた経書の中に(後で蓮如上人が書いたと知る)「白骨」と題されている不気味な文章を発見しました。


そこで、なるほど仏教というのはめっちゃ真剣に「人を楽にしたい」と考えてきた人生の先輩たちの知恵が結集したものなんやなと思ったわけで。そこから僕は仏教に興味を持ち、自分でお経の翻訳を調べるなど、徐々に仏教の知識をつけていくことになりました。


主には人が楽になるための活動をずっと続けていく中で、お寺がオンライン上にあっても良いんじゃないかと思うようになりました。

維持管理のことを考えたとき、自分がもしもお寺をもったとしても、維持をするための費用を檀家さんからいただけるようなことがあり得るのかと考えても、なかなかイメージが湧きませんでした。そこで、オンライン上に存在するだけなら、しかもSNS上だけなら無料ちゃうか、と。

で、いっちょやってみるかと思って活動を始めてみたら、面白くなってきちゃったというのが、エア寺が始まり、今に至った経緯なのでした。


【これからのエア寺のこと】

さて、そんな感じで活動を続けていきますと、わかってくるの「必要性」と「存続の難しさ」という二つのことでした。


必要性という観点では、仏教は今後間違いなくもっともっと必要とされるものになっていくし、そういう時期に差し掛かっていると確信をしています。

それは物質的な価値観では満たされるはずのない気持ちが、物質的な価値観を充足することで満たされるかもしれないという誤解の中でずっと展開され続けてきて、いよいよそのごまかしが利かなくなってきた時代であるという時代の認識があるからです。

もう、文明開化をしても、経済発展しても、それが人を豊かにすることがあっても、豊かさがすなわち幸せというものではないということに多くの人が気付き始めています。気付いてしまったり、物質社会に疑念を持ち始めてしまったら最後、もう後には戻れないでしょう。

心を充足させるしか手がない。そこには心の問題を解決できる手段が必要になってくるから、どうしても哲学や宗教が活躍する必要があると考えます。



一方で、「存続の難しさ」に日本の仏教は立ち向かわざるをえない状況に来ていることも間違いなく、特に地方でお寺を展開する人たちにとって檀家の仏教離れが深刻な問題となっています。専業住職がどんどん困難になってきているという課題に、向き合えない状況が続いています。

そこに対して、「お金の問題を考えていく」という観点で学びが必要ではないかと考えています。存続するための寺社の収益をどのように確保するのかという課題もさながら、やはり現代の苦しみは資本主義社会ですから、お金が発端となっている問題が多く、その問題にあまりにも離れていると共感もできないし、悩み事の本質が見えないのではないかと思うのです。

こんな時代だからこそ、仏教に関わる人たちがお金の問題をあえてしっかり扱う必要はあると考えているのが僕の考えです。


さらには、オンラインで展開しているエア寺のような取り組みから、オンラインでも話したい人たちや出会いたい人たちをつなぐこともできれば、その機会をつくることから、幾ばくかの寂しさを解消することも可能であるという確信も得ました。

だからこそ、オンラインでお寺とつながれるようなインフラの整備というのは今後やっていきたいポイントの一つです。


さらには以下のブログにも書いた、しっかりと学べる仏教の学び場を復活させるという壮大な目標を掲げました。そしてこれがどうやら実現していける流れになっておりまして、オンラインならではの学び場をしっかりと作り上げていきたいと考えています。



とまあ、こんな風に堂々と厚顔無恥を晒しつつ、それでも何かの一助になればと懸命にお話ししたところ、意外にも好評を得ることができたようです。

今後もこういった機会があれば本当に嬉しいですし、真剣な想いが伝わる人たちと共に、人類が向き合うべき「心の問題」に対してそれぞれどのように向き合うべきなのか、そしてどのような行動をして日々を過ごすべきかを、語り合える仲間が一人でも増やせたら嬉しいなと思っています。


全国のお坊さんたちとこれからのお寺のことを話せるようになりたいー!!


いま、僕はそれを願っています。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。