やり過ごすときも必要

前にも書いたけど、やり過ごすときってのはとっても大事だと思っている。

常に正直に生きてたら苦しくて仕方ないんだけど、どうしたらいいんだってことを悩むとき、ずっと悲しいだましだまし、今日を生きることもとっても大事なのだと思っている。


いま引き続き日本を包み込みそうでっかい台風がきている。
比喩とかではなく、普通に天気のはなし。

ただ天気というのは人生のいろいろなときにたとえ話に使われるものであるが、雨が降っているときは落ち込んでいるような気持ちだったり、やはり晴れは晴れやかな気分だという表現をして、人の気分を表したりするもので。


台風のような気持ち、もしくは状況っていうと、当然ながら「普段にはない緊急事態のような大変な状態」のことを表していて、普段はそうではないだけあって、大変なことになってしまうわけだが、逆に言えば、間違いなく、その状況は数日経てばなんとか過ぎていってくれるのだ。


こういう状況の時、とにかく「じたばたしないこと」であり、またできれば「心と身体の準備をしておくこと」ができれば苦しむことが少ない。

リアルな世界であれば、よもやものすごい暴風の時に外に出るような命知らずはほぼいない。家に引きこもってじっとしておくのが安全だ。

そしてできることなら、いろんな備えをして、万事オーケーな状態にして、ただただ嵐の過ぎ去るのを待つことが一番得策だ。みんな知っている。


なのに、「気持ち」のほうの台風に対してはなかなか対策ができないのが人間というもの。そもそも台風と若干、若干だけ違うのが、台風のように天気予報できっちり備えさせてもらえないことが多いってことだ。急に台風が。

その嵐が起こってしまえば、どんな抵抗も無駄で、とにかくズタボロになってしまうだけの、なにも生み出すことはできない、動くだけ苦しみが生まれてしまうようなどうしようもない。それはまさに台風そのもののような時。


やはりお天気と同じように「じたばたしないこと」と「心と身体の準備をしておくこと」ほど重要なことはないと思う。嵐はもう仕方ないのである。


「じたばたしないこと」というのは本当にそうで、この時期に起こることは悲しいこと、腹立たしいことばかり、だから思い通りにいかないことばかりしか起こらない。そういう時期なのにかかわらず、ちょっとくらい晴れ間を見せて欲しいと願うけど、そんなわけはない、暴風雨しか吹かない。

こんなときになにをしても、悔しいこと、悲しいこと、苦しいこと、怒りに燃えてしまうことしか起こらないのであるから、この時期に何が重要かといえば、「なにもしない」ことだと僕は思う。人を傷つけることなく、穏やかにただ生きてさえいればいい時期というのがあるのだと僕は思う。


そして「心と身体の準備をしておくこと」は、まさに心構えをしておくこと。もう、そういうものだと知っておくこと。この時期にできることは、ただ日々を過ごすこと、生きているだけ、呼吸をしているだけのこと。それだけで十分なのだということを知って、ただ備えてじっとしていること。

そして、もしもできるならば身体を健やかに保つためのなにかをしておくこと。食糧を蓄えておくのも良いし、よく寝るってのも良くて、美味しいものを食べるのも、ゆっくりと風呂に入るのも良い。なんせ身体が喜ぶような、身体にとって良いなと思うことをする。


台風というのはそういうもんなのである。
だからやり過ごそう。


みなさん、物理的な台風の時はご安全に。
みなさん、心理的な台風の時はご機嫌に。


明日はゆっくり寝てればいいさー。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。