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チャイニーズダンプリングとは呼ばせない

クリスマス・イブの1日前

上野に降りた僕は、そこに用事がないことを思い出す。
街の喧騒を避けるようにしてひたすらに歩き続け、また思い出す。

神保町。

腹が減っている。しかし定食は食えぬ。

祝日の街はシャッターを下ろして、クリスマスを素知らぬ顔で眺めている。

19時50分。
明かりのついた一軒を見つける。

餃子屋だ。間違いない。

空いた腹に瓶ビールと餃子。完璧である。


暖房のきいた店内は、餃子を楽しむ人たち、その人たちだけの空間だった。

ラジオも、USENもかかっていない。

ただ、餃子が焼ける音だけが聴こえる。


大きいとは言えない店内だけれど、餃子を楽しむのに大きさは関係ない。

僕の他に客は3人。

餃子定食、餃子定食、餃子の中皿。


2017年12月23日、金曜日。
世の中は、絡み合うまなざしと、独り身達の慰労会で温度を上げていっているというのに、餃子を一皿だけ、とはなんたる贅沢だろうか。水と、餃子の中皿。向かいのテーブルの彼は、脇目も振らず、一つ一つ、噛み締めていく。

ラガービールの中瓶が、トン、と置かれた。小さなグラスになみなみ注いで、飲み干す。待ち遠しい。

カップルが入ってきた。長く付き合っているカップルよろしく、上擦る声は聞こえない。餃子定食をふたつ。


おまたせしました、とやってきた餃子は、しっとりとしていた。

僕たちは「パリッ」とか「サクッ」とか、そういうわかりやすいものに慣れすぎかもしれない。

なんでも極端でハッキリしているものが良い、なんていうのは実は甘えで、白黒ついていないものを、ついていないままにしておけるのは心の強い人だったりするのではないだろうか。人間は弱い生き物だから、ハッキリしたものにすがりたいんだよ。餃子とかね。

肩ごしにさっきのカップルの会話が聞こえてくる。
「おいしいね、おいしいね」
僕の言いたいことは代弁されちゃったし、いいや。

じゃこれで、と店長は先に上がるらしい。
仕事着から着替えたセットアップは、とてもかっこよかった。長年続いた仕立て屋さんが閉める時に、格安で仕立ててもらったんだ、とおばさんと話している。うん、良いものにはストーリーがある。


グラスに半分ほど残しておいたビールを、最後にあおる。日本のビールは、食べ物のための酒だな。帰ってからめっぽう酒がうまいのは、飯がうまいからだ、と独り合点する。

外に出る。12月23日、金曜日。

東京は、寒い。



〜〜〜

誰に媚びるでもなく、言葉が溢れたら書けばよかった、ただそれだけのこと、なんてことを思い出させてくれた後輩のnoteに感謝して
リハビリ的ですがあげておきます
4ヶ月前にインスタグラムにあげていたものを加筆・修正したものです
文字は嫌いになりたくないから、こそ、カッコ悪くても、外に出していきたいです

とりあえずこたろうは元気であります

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