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選手は戦士。野生味のなさは致命的。

昨夜は男子サッカー日本代表アジア杯を、DAZNでライブ観戦。

我らがサムライブルーは、試合開始からフォーカスの弱いボヤけた空気感。試合前、板倉滉選手の顔が強張っているのが画面越しに見えて、「珍しい」とつぶやいた。緊張に慣れておらず、耐えられないのかもしれない。

今の選手たちを見ていると、頭のいいスマートな世代だなと思う。対戦相手のデータは素早く頭に叩き込める。高い技術力。コツコツ努力できる。これまでのプロキャリアのなかで緊張することがなかったのかもしれない(だいぶ先輩にはなるが、昨シーズン引退した元日本代表・遠藤保仁選手はまったく緊張しなかったと聞く)。

でも、今回のアジア杯の舞台では、彼らが今まで通用していたことが通用しなかったように見える。

自分は小心者の緊張しいなので、ミュージカルの本番前は、毎回ものすごく緊張していた。3,000ステージ近く登板しても変わらなかったから、もう諦めるしかない。自分のような凡人が緊張を克服するには、その緊張の強さを上回る心身の準備をするしかなかった。

気になった2つのテーマ

肝心な場面でフリーズしているかのように見えた、昨夜の日本代表を見て、ずっと気になっていることが2つある。「顎」と「スイッチ」だ。

どちらのテーマも本来専門の身体生理学者や心理学者の手がけるべきものだが、自分はそのどちらでもない。従って2つの指摘は個人的な体験談を元にしたものに過ぎないのだが、一向に進展が見られない現状を憂い、わずかでも私たち人間の素晴らしい成長に貢献できればと願い、記すことにした。

「顎」は生命力の源

フィジカル的にいって、顎は「生命力」「野生」を表す。本来「食べる」とは本能的・野生的な行為だし、口はセクシャルな部位でもある。だが今の男子サッカー日本代表で、国歌斉唱の際に顎を使って歌唱できる選手は見当たらない。いざという時に生命力が迸(ほとばし)らなければ、声や言葉で自分やチームメイトを鼓舞して勝ち抜くことは出来ないのだ。

芸能の世界では歌舞伎であれオペラであれ、顎が使えることは重要だ(このことに気づいていない関係者は多い)。エアロスミスのボーカル:スティーブン・タイラーはわかりやすい例で、その影響力の大きさが何よりの証拠になる。

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我が師の1人・エドウィン・コパードは、この生命力を引き出す、伸ばすのが抜群に上手かった。

そう、顎はパワーの源なのだ。自分の生命力を計りたければ、口をパカっと開けて指が縦に何本入るか試してみたら良い。現代日本人は、2本入れば御の字ではないだろうか。そんな生命力では、事を成し遂げることは到底不可能だというのに。

メンタルなどデータに表れないものが勝敗を左右するのは勝負の常だが、顎の動きなら目で見れば誰でもわかる話なのだから、サッカー界、ひいてはスポーツ界や教育界全体でしっかりと取り組んでもらいたい。もちろん技術の向上や戦術など、その他細かなディテールがどうでもいいという話ではない。

歴代の日本人サッカー選手のなかで、「野生」といえば思い出す人がいる。元日本代表フォワードの、ドラゴンこと久保竜彦さんだ。

バーレーンを観戦する久保竜彦【写真:荒川祐史】THE ANSWER

その久保竜彦さんがバーレーン戦後の解説で、元フランス代表の名センターバック、マルセル・デサイーらと対戦した時のことを引き合いに出し、興味深いことを話していた。

 あんなにデカくて、すごいのに『ライト!』『レフト!』って声出しながら。(ラインの)アップダウンもしっかりやっとったし。あれだけ動物的な(身体能力が武器の)選手なのに、ずっと声を出して。もちろん、動物的な動きで、バーンと来る時もあるんよ。

 W杯やヨーロッパで優勝するようなやつやし。何の隙もない。入場する時から上から睨まれて「お前に何ができるんだ」って言われて。身体能力はもちろんで、それでも声を出して、統率して90分間切らさず、ロスタイムだろうがなんだろうが試合終了まで続く。

 もう、そういう相手には何もできんよね。

THE ANSWER

前例のない、曖昧な目標を目指すのではなく、日本代表のディフェンス陣には、最初からこのあたりを頂点として目指して欲しい。仮に生まれ持っての才能(両親から受け継いだフィジカル等)でデサイーやテュラムを下回るなら、他の要因を伸ばさずにどうやってワールドカップで優勝するというのか。


生命力の「スイッチ」

もう1つが「スイッチ」。勝負の世界は、最後はデータにならない部分が結果を分ける。日常生活の延長線上でプロサッカー選手が務まると思わないで欲しい。いや、彼らもそんなつもりはないんだと思う。ただ、さらに上の次元があることを知らないだけ。

自分の場合、意識的にスイッチを入れられるようになったのは、ある役に取り組んだことがきっかけ。課題意識を持って日本舞踊に取り組んで1年が過ぎたころ、須佐之男命(スサノヲノミコト)の役が転がり込んだ。なにしろ相手は人じゃない。日常生活の延長線上でなんとかなる相手じゃない事は明白だった。

役作りは、徹底的に古典をリサーチし、ある映像にたどり着く。六世尾上菊五郎による『新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(監督:小津安二郎)』だ。

この映像からインスピレーションを得て振りを付け、日本舞踊の師匠・花柳鶴寿賀の稽古場に転がり込んだ。人間国宝・花柳寿南海の直弟子である師匠は、映像を視て一言。

「なにこれ、人間じゃない」

この感性を瞬時に共有できる師匠が側にいたのは有り難かった。そのまま泊まり込み徹夜で振りを入れ、翌朝今度はミュージカルの方の稽古場へ。もちろん未熟な部分は多々あっただろうし、そこから効果などは他部署を含めたくさんの微調整をしたが、演出家からの文句はなく一発OK。

それ以来、期待していなかった変化があった。パフォーマンスのばらつきが減ったのだ。完全にそっち(?)に振り切ったことで、いつでもスイッチを入れられるようになったのだ。というか、それまではスイッチの存在すら知らなかった。より日本的に言えば、荒御魂(あらみたま)のスイッチと言ってもいい。スポーツ選手は、戦士なのだ。技術や戦術の向上はプロとして当たり前。当たり前の上をいくからプロなのだ。

圧倒的な選手を目指して

前述のドラゴンこと久保竜彦さんは、センターバックの冨安健洋選手は「バーレーン相手には怖さを与えらるものがあった」という。

今後も冨安選手の周りには、スポーツ生理学的にリラックスが必要だと、勝負の場面で笑顔のチームメイトもいるだろうが、彼にはそっちへ下りないで欲しい。代表であれクラブチームであれ。究極の場面において緊張や恐怖を超越できるかで、その選手の格が決まる。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、大谷翔平選手が究極の場面でリラックスしていただろうか。ただリラックスしていて、WBC優勝という個人の意志を超えたご褒美を得られただろうか。普段の試合で、緊張をなかったことにしていて成長はない。どんどん大きくなる緊張すら力に変えて、悠々と超えていく自分へと変貌するのだ。

目標に向けて効率的に進むスマートな世代であるからこそ、「生命力」「野生味」といった要素が自分自身の目標達成に、さらにはキャリア形成に必要なのだ、ということが肚に落ちたら具体的にコツコツ取り組むだろう。一層の破壊的なまでの躍進に期待したい。そして、それに続く選手が次々出て欲しい。

イランがイランの強みにフォーカスしてなりふり構わず立ち向かってきた時に、日本はそれを上回る迫力で自らの強みにフォーカスし、自らの弱点を帳消しにしてしまうほどの選手たちが。

冨安健洋選手が、怪我なく素晴らしいキャリアを築かれますように。男子サッカー日本代表が、夢を叶えられますように。日本という國が生命力あふれ、さらに美しい國へと発展しますように。


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