共感と日本刀、どちらがお好き?

昨日『ぼくの仕事のベース』に、こんなことを書いた。

フツーの日本人が「ああ、わかる」「身につまされる」「リアルだ」という反応が返ってくるのが仕事だ、となったのだと思う。
note『ぼくの仕事のベース』

言葉にして気づいたのは、その一方で自分の中には相反するものがいる、と思い出した。それは〝怪獣〟がいる、ということだ。

どういうことかというと、ぼくはよく「優しそう」とか「怒らないんでしょ」とか言われるが、ところがどっこいとんでもない激しさを持った自分がいて、それは時折出現して、どかーんとちゃぶ台をひっくり返したり、相手が誰であろうはっきりとモノを申し上げる。

演劇や長編小説って、非効率なぐらい長い文脈のなかでじわりとしたりするものだけれど、その一方で一生忘れらないほどの一瞬の情景や衝撃があったりする。

バスケだったら、通常は1回のシュートで2ポイントずつ積みあげていくところに、試合の流れを変えてしまう3ポイントシュートを決めてしまうみたいなものだ。それで相手は戦意喪失してしまったりして。

というわけで、ぼくの中には「ああ、わかる」と同じ文化背景を持った日本人だね、とか同世代だね、などと共感を生む「じわじわ」な部分と、一瞬で状況を変えてしまうような、喉元に日本刀を突きつけるような「どかーん」な部分が両方あって、それでぼくなのである。


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