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水のなかを歩く   25

なぜ彼はそこまで追い詰められ孤立してしまったのか?とみんな思ったのでは。そしてこれ、人ごとじゃないよと。似たような構図はどこにでもある。伝えたつもりなのに伝わっていない。そんなストレスや諦めが続き、いつしか自分の気持ちに蓋をしてしまう。頑なにならざるを得ない日々が続く。

個人の判断、組織としての意思決定。そりゃ、後者が重んじられる。でも個人の判断に明らかな過ちや非があったとしても、弾劾したり排除するのではなく、受け容れて議論する責任がやっぱり組織にはあると思う。そうでない社会は窮屈だ。

個人の価値観や信念、美意識はどうしても(いつまでも)人それぞれなわけで、それを摘み取るのではなく、なぜそう至ったのかを社会で考えないと。「one for all, all for one.」なんて昔はよく言ったけど、今はみんな自分の立場で精一杯なのかもしれない。共有する機会は増えたけどそれは価値観が合った者同士の数でしかなくて、シェアしなかった人たちの方がむしろ多数であるという謙虚さを忘れちゃいけない気がします。

社会課題へ積極的に取り組む企業やブランドが(特に若い世代には)支持される時代になってきた。つまりは、多様な個人の悩みや問題をその組織は解決する気があるのかどうかという問いかけだ。

カープ、今年も優勝ありがとう。

#社会課題

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