人の密度と人の距離

小さいお店と言うものに雇われて、その大きな違いに知恵熱が出そうになっている。本当、人生100年では私たちは何もかもが足りない。

それくらい、34年の人生に無かった感覚だ。

多分、一番の違いは従業員の人数だし、関わっている人の数なんだと思う。同じ社会と言うのは、全然ない。これだけ同じ土地、近い距離でも、すぐ隣では全く違う時間が流れている。それは、人の関わる密度、人のいる距離によって変わっているようだ。

店の中には私を合わせて5人しかいないし、来店するお客さんも一日5人も来れば良い方だ。電話だって5回も取れば多い日だろう。それでも、経済は回っていて、日々は流れていく。

郵便配達をしていた時を思い出すと、チームには13人が所属していて、部署全体はゆうに100人を超えた人がいた。配達自体は、毎日一人当たり1000件近い家に配達に出ていた。単身世帯は少数で、一世帯2~4人は住んでいる。もちろん、一軒に一通ではないし、0通の家も1割くらいはあるけれど、大体は1~3通届く。送ってくる人は様々だし、個人の手紙は少数で、役所や企業からの手紙が多い。その手紙自体は、全国の郵便網に乗って届いていて、その間にはたくさんの引き受け場所、トラック、荷積荷降ろしをする関係者がいた。毎日1万以上の人が蠢いていて、その一つの社会と言う一生物の中で生きていた。

それこそ社会の歯車として、必要なことをただひたすらやり続けるだけであった。私にとってそれは得意なことではあったが、常にトップギアで回る歯車であり、摩耗する速度が早かったことも事実であった。なるべく考えずに、毎日大量に降り注ぐ郵便物に、激流の中で舞う木の葉のように、上手に受け流すことが重要であった。

この役割を果たしていた頃が、今と対象的に思い出される。いまの店に激流はない。むしろ、自身で歯車を回さなければならなかった。毎日数人の人としか関われない中で、ウェブの力を使って、一人でも多くの人に繋がろうとしなければならない。価値ある人へ物を届けなければならない。そうでなければ、あっと言う間に打ち捨てられて、何も経済に関われないのだ。

まったくもって、真逆のエネルギーを生み出す行為だった。

同じ日本の中で、職場が違うだけでこれだけ真逆の生活が起こる。もちろん、私が職種を問わずに放浪したからでもあろうが、それにしたって、日本の中で変わらずに、同じように生活している人々の中でだ。これが不思議に感じられず、なんというだろう。

人の生きている社会が多様であること、34年も生きていれば知らない訳ではない。それでも、簡単に違う社会があることを思い知らされることに、驚きと戸惑いが隠せなかった。


*転職したてで、このように奮闘している一塚保に、応援のハートを押して頂けたら幸いです。↓


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