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吉田健一「英国の文学」

 吉田健一さんの本にはまった時期がある。うねうねと果てしなくつながっていくあの文体が妙にクセになるのだ。たとえばこんな文体だ。

 併しそれで我々はこれから何をなすべきかという風なことを寅三が考えずにすんだのはやはり年の功と言わなければならない。我々は何をなすべきかであるよりも我々が余り生きているような感じがしないから何をなすべきかと開き直り、虚勢を張ってそれで若いうちは何かと苦労をして色々と、いいことがあるのだろうが、そんなことが重なるうちには自分が朝起きて外の景色を眺めているのだという種類の感じの方が強くなって何をなすべきかでもなくなる。併し頂上の雪も大概溶け去った富士を見ているうちに自分が生まれてから何度も眺めて来て、戦争が終わる頃までは家の屋根の上に現れ、この頃は文字通りに地平線の向こうに出る富士がそうして屋根越しにではなくなるまでに言われて説かれて書かれて来たのは何なのかという考えが寅三の頭を掠めた。そういう仕儀になったのはその言われて説かれてが東部軍管区情報と違って戦争とともに消えた現象ではなくて寧ろ戦争がすんでから洪水に風の勢が加わったように一層盛になって行くのが感じられたからだった。
                        (「瓦礫の中」)

 これが吉田さんの小説の文体だ。言葉のリズムに心地よく乗せられているような気がする。このリズムにはまると抜け出せなくなるのだ。何が書かれているかかではなく、何が書かれていても面白いように感じるのだ。不思議だ。
「英国の文学」は吉田健一さんのデビュー作。名著だが、後年の独特な吉田健一文体は控えめ。

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