あいつの日本語をぶっつぶしてやるんだわたしは

日本語一般にもいろいろいろいろいろいろ思うところがあるが、中でもいけすかない文章を書く人がいる。

学校の先生にいかにもチヤホヤされそうな、読書感想文みたいな文体である。なんでもないことにむやみな起伏をつけて、劇的な体をよそおう。
とはいえ実際のところ、そこではどんな美徳も醜悪もよろめいていないので、全く劇的ではない。
その人は自分では芸術が好きなつもりでいるようだけど、劇的なるものというのを理解

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“文体模写”

こんばんは。一般人の藤麻無弓です。

日々 いかがお過ごしでしょうか。

先日は空虚を取り上げ、その空虚に密度を与えることについてのお話でしたね。

あれから満たされることは続きましたでしょうか。

全て内面の心のありようが外の現実にも表れていますから。

外をバロメーターにして内観をしてみるのもいいのかもしれませんね。

……

なにこの文章w

ゃだなぁ、ぁたしこんなこと書くワケなぃじゃん。

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ブログ的文体とパラグラフ志向の違いはなにか、その長所と短所はなんなのか

いかにもブログ的な文体、すなわち短く切り詰めた一文、改行の多用とかっていうのはあまり評判がよろしくない。たしかに、一般に良い文章とされる、たとえば明晰なパラグラフ構成を持った文章と比べると、ある種の稚拙さを覚える。まあ、別に形式を気にしなくてもいいプライベートな日記とか、もしくは口語的なコミュニケーションの延長で書いてるぶんには別にそれでいいし、むしろブログ的文体のほうがしっくりくることもある。文

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ふんわりしたい

SNSをアナログメディアに例えてみました。
※主観です

Twitter → 付箋
LINE → ブロックメモ
メッセンジャー、DM → 一筆箋
Instagram → チェキ
メール → 葉書
ブログ → 手帳
Facebook → 封書
YouTube → 小包

Facebookはなぜか私あまり相性が良くなくて、書くのに気が重いので封書。

で、noteはというと

note → メッセージ

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全国紙の1面トップ記事に「なんやそれ」という言葉が載った件

▼全国紙の1面トップの記事に「なんやそれ」という見慣れない文章が出てきて、「なんやそれ」と思いながら読んでみると、なかなか面白かったという話。

▼2019年6月24日付の日本経済新聞。「データの世紀 世界が実験室 1」。見出しは

〈ワタシvs.操る技術/追跡網 膨張どこまで〉

記者が一人称で書く文体で、新しい試みなのだろう。占い好きの29歳の記者が、タブレット端末に出てきた広告に違和感を覚え

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明治大正美文家列伝 自注

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 今回はとくに新しい話はないのですが、例文のなかにけっこう他人の文を引用していて、隠したままだとあれなので、引用元を書いて、どう変形したか分かるようにしておきます。これを見るとほぼパクリなのがばれますね……。まあ、この記事はとくに役立たないので読まないでいいです、結論もないし。むしろ、本編では語れなかった余談をいろいろ書きます、この辺はもうわたし独自の考えだったりもする。



一六世

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SFは絵だねぇ

上田早夕里『華龍の宮』、伊藤計劃『虐殺器官』、冲方丁のマルドゥックシリーズ。わたしは日本語のSFが好きだ。

現実にない風景を想像するには、言葉を尽くしてイメージを描く必要がある。そのディテール描写がうまい作家の作品は、何度読んでも没入して浸る幸福を、味わえる。

飛浩隆『グラン・ヴァカンス』もお気に入りの作品で、きょう2周目を読了した。タイトルに挙げたフレーズは下記記事からの引用だ。

これ普通

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明治大正美文家列伝 其七 平岡龍城

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 明治大正美文家列伝、最終回は平岡龍城です。前回の大町桂月以上に「だれ?」という世界ですが、文のおもしろさはすごいので紹介します。

 この人の略歴は不明です。本らしい本は『国訳 紅楼夢』(国訳漢文大成、1920年)だけしか見たことないので、もっぱらそれについて語ります。翻訳の文体を題材にすることに疑問がある方もいるかもしれませんが、まぁ趣味の記事だから……。

 ちなみにこの本は幸田露

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ハルキストではないのですが。

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』という著作が、2017年、新聞広告に取り上げられていたのを、みかけたことがあります。レイモン・クノーの『文体練習』のようなものなのだろうか?と思いながら広告を読みました。宣伝に使われていたのは、村上春樹さんの文体練習でした。

その手前で、Twitter上に掲載されていた文章は以下の文章だそうです。

村上春樹さんの小説の読者ならば、少し首をかしげ

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一人称の文体と頭の中の声について

初期の雑記は「だ、である」調で書いてましたが、途中からですます調に変えました。
その方がしっくり来る気がして。

noteはである調で書いてる人が多いので、なんとなくそういう書き方をしてたんですが、わたしにはですます調の方が合ってる感じです。
この方がおだやかで落ち着きます。

それにしても、文体を変えただけでずいぶん印象が変わりますね…。
初期の雑記の強気な印象も、ですます調で書くとやわらかな感

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