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本は、そこにあるだけで、エネルギーがあり、不思議なちからがある。それは、書き手を応援し、鼓舞し、文章を書かせるのだ

 ここのところ、名前の知られていない小説書きの話を書いているが、これもその流れのものである。

 ある日、突然、その若者は、職場の私の机にやってきた。
「小説を書いていると聞いて、気になっていたんです。僕も小説、書いているんです」といった。
 髪の毛を短くした、背が高い若者である。ちょっと歌人の枡野浩一さんに似ている。二十代半ば過ぎだろう。
 大学の事務局である。
「バイトの人?」私は聞いた。
「そうです」
 私は、顔を知らなかった。
 後日、聞いたことだが、この大学の出身者だそうだ。
 一口に職場といっても、そこで働く人間の数は多い。それぞれ独立した課があって、動いている。正職員ならともかく、非常勤職員、派遣職員、業務委託など、それ以外にも、たくさんの人間が出入りしている。
所属している課が違うと、顔を知らないことなど、ざらである。
「U課長から聞きました」
 とSくんはいった。
 U課長には、私が出した本を渡している。親しい間柄である。
「ああ、なるほど」
 私はいった。
「好きな作家は?」
「村上春樹」
 Sくんは、迷わずに返事をした。
「今度、読んでくださいよ」
「もちろん」
 それで、その日の会話は終わった。

 後日、Sくんから紙の束を渡された。パソコンで、プリントアウトされた小説だった。タイトルは「ストレイシープ」。
 400字詰め原稿用紙で、250枚くらいになるだろうか。長編である。
 そのタイトルを見て、夏目漱石「三四郎」みたいだな、と私は思った。
 実際に、読んでみた。村上春樹が好きだというそのことばのとおり(比喩は多用しないが)村上春樹のような文章だった。あるいは、「パークライフ」のころの吉田修一。プロっぽい手つきのいい文章だと思った。
 文章だけで、先を読ませる。
 好きになった女が、実は、父親の愛人だった、というストーリーである。
この小説の最後は、傷心の主人公が風俗店に入る。そこで風俗嬢になった幼馴染の同級生と出会い、おたがい心を開き、つきあい始める。ハッピーエンドを予感させる終わり方である。
 小説の終わりかたとして、ハッピーエンドにしたくて、そういうシーンをはめ込んだのだろうが、私には、どこか類型的な気がした。
 全体的な感想として、私は、本人に、
「きみの小説は、文章だけで読ませられるので、余計なストーリーはいらないのではないかと思う」
 といういいかたで伝えた。

 その後、私の本、「スズキ」のゲラが出たとき、Sくんに読んでもらったことがある。私の文章が、若い感性に、どのように映るか、興味があったのだ。
「ここにある小説は、私のより、ずっと上だと思います」
 Sくんは、そういったうえで、
「『デスク』は、『机』でいいと思います。『ネトゲー』と書かれていますが、一般的には『ネトゲ』ですね。AVの記述も変えたほうがいいです。S1は、素人は出演しません」といった。
 私はそのとおりに直した。だから、ある部分は、Sくんのアドバイスに従っている。

 Sくんの次の小説のタイトルは「ピポット」だった。いいタイトルである。ピポットとは、バスケットボールの用語で、「ボールを持った選手が片足を軸にし、もう一方の足を動かしてからだの向きを変えたりすること」である。
「高校時代、バスケをやっていたのです」
 Sくんはいった。
 原稿は返してしまったので、記憶だけで書いているが、主人公の男の子がマザコン気味で、父親には、愛人がいる、という設定の小説だった。
 文章は相変わらずいい。が、ストーリーに胸を打つものがない、と私は思った。 
 またもや父親に、愛人がいる設定になっているので、気になって、Sくんに聞いてみた。とくにかれの実生活に基づいているわけではないようだった。

 三作目も読んだ。これは、タイトルも覚えていない。印象が薄かった。大学を卒業した主人公が就職する。その職場に、幼馴染みの女の子がいて、恋人のような関係になる、という話だったと思う。
 小道具として、音楽やバーが出てきたのが、新機軸だったが、書くことがないのに、無理矢理に書いているような印象だった。そういうことは、なんとなく読者に伝わるものだ。
 Sくんに会ったとき、次作について、尋ねると、
「最新作は、400字詰め原稿用紙に500枚以上になります」といった。
「純文学の新人賞に応募できる枚数を大幅に超過している。書いても、発表できる媒体がないと思う」
 私はいった。
「仲のよい先生に読んでもらうつもりです」
「ふうん」
 それはそれでいいが、その後、どうするのだろう。その先生が出版社を紹介してくれるのだろうか。
 私は、先生の名前を聞いた。政治学の教授で、文芸関係の出版社には縁があるように思えなかった。でも、私は、それ以上、追求しなかった。

 ここまでで、Sくんから声をかけられてから、およそ三年が経過している。
 「ストレイシープ」は、群像文学新人賞の一次を通過した。Sくんからそう報告があった。それ以外の作品の結果は、聞いたことがない。

 Sくんの思い出は小説以外にも、ある。

 私は、Sくんと出会ってから3年のあいだに、学生を引率してヨーロッパを旅行した。イタリアに着いたとき、書店で、イタリア語の村上春樹の短編集が目に付いた。類推できる言葉をつなぎあわせると、おそらく「めくらやなぎと眠る女」だろうと思う。もちろん、私は、イタリア語など読めないし、それは、Sくんも同様だろう。でも、イタリア語の村上春樹の本など、珍しい。日本では、なかなか売っていない。おみやげとしていいのではないか。結構高かった。日本円で、2、000円程度。それでも、Sくんのおみやげとして購入した。
 Sくんは、講師室という教員の控え室にいて、教員からの書類やかかってくる電話を取りつぐのが仕事だった。
 ということは、教員が講義に出てしまえば、仕事は少ない、ということである。

 その時間帯に講師室に行って、イタリア語訳の村上春樹を渡した。Sくんは、笑顔になって、よろこんでいるように見えた。

 Sくんとは、校舎がちがうこともあって、ほとんど会わなかった。たまに、タイムカードのところで、Sくんの姿を見かけることがあった。
 最初に会ったときは、ワイシャツにズボンというふつうのかこうだったが、すこしずつ変わり始め、3年後には、サイケデリック模様のパンツに、派手なシャツ、黒い帽子をかぶっていた。
 どう見ても、まっとうな人間には見えない。
 世間一般が考えている奔放な芸術家のイメージ、いわゆるアーティストのイメージである。
 アーティスト関係の職業についている人間ならば、それでいい。が、Sくんは、いまのところ、そうではない。
 このままでは、就職ができなくなる、と私は思った。年齢も三十歳近くになっているはずだ。
 作家になる。おれは作家だ、という自負がSくんにそういうルックスを故意に選ばせているのかもしれないが、とりあえずは、就職をしたほうがいいのではないか、と私は考えるほうだった。
 私の出身大学は、日芸であり、有名な芸能人、カメラマンなどを輩出している。私の同期には、その道のプロになるつもりで、就職しない友人が多くいた。その友人たちが現在、どうなっているかというと、実際にプロの作家として名を成した人間はいない。
 バンドをやって、ミュージシャンをめざしている者もたくさんいたが、ミュージシャンとして喰えているという話は聞かない。
 私が知る限り、全員、アルバイトである。
 アルバイトでも食べてはいける世の中ではある。金が潤沢にないだけで、幸せではあるかもしれない。
 でも、わざわざ狭き道を選ぶことはない、と私は思う。

 一度、Sくんに、ネットに小説を発表することを聞いてみたことがある。
理由として、自分の小説を読んでくれるひとがいることは、励みになることを話した。
「ネットに発表するなんて、考えたこともありません。昔、ミクシーで、日記を書いていたことはありますが、それくらいです。僕は、新人賞を取って、プロの作家になります」
 そのような趣旨のことをいった。Sくんの強い自負を感じた。
 それ以上、そのことについて、私は、追求しなかった。

 講師室にいって、話しているとき、Sくんが講師室の自分のロッカーのドアをあけたことがある。
 がらんとしたロッカーに、私がプレゼントしたイタリア語訳の村上春樹が、数冊の本といっしょに無造作に放り込んであった。
 こんなもの、どうでもいい、といった塩梅に、私には見えた。
 私がプレゼントした本を、家に持ち帰ってもいないのだ。
 どうせ読めないのだから、どこにあろうとおなじである。それはそのとおりなのだが、その本が、身近にあることによって、不思議なちからを感じる。受け取る。私は、本には、そういうエネルギーがあることを信じていた。
 本に励まされる。そんなパワー。私がすぐには読めそうにない本を、無駄に買いこむのは、きっと、そのためだ。
 その場面は、私の胸に痛く、ちくりと刺さった。

 Sくんの500枚以上の小説は、読んでいない。読ませてもらう前に、人事異動があり、私がその職場からいなくなってしまったからである。

 異動する直前だったと思う。私は、講師室にいるSくんに挨拶にいった。
Sくんは、私を見て、居心地が悪そうにしていた。顔を伏せて、私をまともに見なかった。
 あれ、と私は思った。
 私は、たしかにSくんにずけずけとものをいったかもしれない。が、関係が悪化しているとは思っていなかった。
 Sくんは、どうだったのだろうか。
 おなじ小説書きとして、複雑な思いを抱いていたのだろうか。
 Sくんの心情は、私には、わからない。

 それ以来、Sくんとは、会っていない。

 数年後、雑談のなかで、Sくんがバイトを辞めたと聞いた。

 U課長に電話をして、事情を問い合わせたところ、
「金銭のことで揉めて、辞めた。休んだ日のバイト代を要求してきたのだ」
 と不快そうにいった。
 大学は夏と春に大きな休みがある。授業のない日は、バイトは出勤しない。だから自分の時間を多く持てるといういいかたもできるし、そのかわり、お金が入らない、といういいかたもできる。
 U課長は、それ以上、話したくなさそうだったし、私も、詳細を聞きたい気持を失った。

 講師室を去る日、Sくんは、ロッカーのなかに放置されていたイタリア語訳の村上春樹の本を持っていったのだろうか?
 いまだに、そんなとるに足りないささやかなことが気になる。人間とは、おかしなものだ。

 本は、そこにあるだけで、エネルギーがあり、不思議なちからがある。それは、書き手を応援し、鼓舞し、文章を書かせるのだ。たぶん。

 私の脳裏には、自分の本を持ち出した後の、がらんとした、ロッカーのなかに、村上春樹の本だけがぽつんと置かれて、映っている。

 いつの日か、文芸誌の新人賞の受賞者に、Sくんの名前を発見できる日を、私は願っている。


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