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新しい店舗がいつまでたっても入らない。この店は私だ、と私は思う。

 遠出をしたとき、レンタルビデオショップがあった。そういえば、近年、レンタルビデオショップをまったく使っていないなあ、と私はそのとき、思った。数十年前、一週間に3本は必ず借りていたのが、嘘のようである。(3本借りるとレンタル料が安くなるのだ)
 理由はわかっている。DVDを中古店で買ってしまうからである。ビデオ(ビデオである!)の時代の価格は、1本2万円程度だった。個人では、とても購入できなかった。
 だが、メディアがDVDに変わったころからか、比較的入手しやすい価格に変わった。この値段なら、購入できる。限られた期限で、急かされた気分で映画を観ることもない。
 とはいうものの、レンタルのほうが安いことは安い。私は、その後もしばらくレンタルを使っていた。

 近所のレンタルビデオショップが次々と閉店していった。近くにレンタル店がなくなってしまったので、私は買い始めた。それが、現在まで続いている。
 愛惜の念を込めて、私は、「アラフォー女子の厄災」の冒頭に次のように書いた。

                *

 廃業したレンタルビデオショップの入口を見る。チェーン店ではない店だった。張り紙が貼ってある。
「○月○日をもって、閉店します。長い間のご愛顧、ありがとうございました」
 三か月間、放置されている。張り紙は、雨や風にさらされ、端が破れ、醜く薄汚れている。その店の前を通るたびに、私は胸が軽く苦しくなる。うずく。嫌な汗をかくような気がする。
 新しい店舗がいつまでたっても入らない。この店は私だ、と私は思う。
 
 私は、ストーカーである。
 こんなことになって、動揺している。その自覚はある。困ったことだ、と思っている。でも、どうすることもできない。心の暴走が止められないのだ。止められるくらいだったら、とっくにそうしている。
 私がアラフォーだからだろうか、と自分に問う。
 関係ないとはいえない、ような気がする。こんなことになって、次がない。二十代とは違い、簡単には、次の男が見つからない。未来に頼れない。また、そのこと以上に、もし運よく新しい男が見つかったとしても、新しい人間関係をゼロから構築していかなければならないのだ、と思うと、暗澹とした気持になる。
 先月の土曜日のことだった。つきあっていた男から別れを切り出された。
 かれとは、おたがいの欠けたピースが、ぴったりとはまるような相手だと思っていたのだ。本当だ。
 一年近くつきあってきた。私のほうは結婚を意識していた。小出しに、それとなく、打診をしてきた。
 それなのに、振られた。ひどい振られ方、格好悪い振られ方だった。大江千里である(いまでは、ジャズピアニストだ。まあ、若い世代は知らないかもしれないが、私は好きだった)。いまから考えれば、それがいけなかったのだろうか。
 でも、アラフォーの私に、ほかに、どんな選択肢があったというのだろうか。
 私は派遣OLである。過去には、正規社員として就職したこともあったが、その会社はあえなく倒産。それを機に、派遣会社に登録して派遣OLをつづけている。派遣切りにおびえる。そんな日々とはさよならしたい。そう思ったからといって、私に、どんな罰が当たるというのだろうか。
 相手の男は、大手玩具会社に勤める正規社員だった。七歳年下の三十三歳。玩具会社が当世どれだけ儲かっているのか、寡聞にして知らないが、でもなんにしろ、とにかく正規社員である。安定している。たぶん。
 出会いは渋谷の小さなイベントスペースで行われた朗読会だった。出演者の複数の舞台役者が好きな本を持ち寄って、朗読する。私が惹かれたテキストは、吉行淳之介さんの「闇の中の祝祭」だった。女優と作家の恋愛を描いた小説である。吉行さんは、文学的には第三の新人と呼ばれ、新人ではなくなっても第三の新人と呼ばれ、その呼称のまま純文学界の大御所になった作家である。すでに亡くなっている。私と同じように、あからさまにその朗読に心惹かれたような顔をして熱心に聴き入っていたのが、かれだった。
 因果なことに、というか、たまたまというか、その相手の住居は私の家のご近所だったのだ。家から歩いて、最寄りの駅までいくちょうど中間にあった。名前は市川賢人。私の友人、数人に会わせたことがあるが、「イケメンすぎて、あなたには、もったいない」といわれた。
 失礼な、と思ったが、冷静に考えてみればそうなのかもしれない。
 正規社員で、私より七歳年下で、しかもイケメン(私はさほどそこにポイントを置いていないが)である。
 かれは、けっこうな読書家だった。私も読書が大好きだったので、話があい、気があった。読書の話をするだけで、時間があっという間に過ぎていく。私だって、四十年も生きていれば、過去に恋愛の三つや四つ、経験してきたが、そのどれとも(いい意味で)ちがっていた。いつの間にか、つきあうことになっていた。本当に自然で、川の流れのようだった。その経緯を思い出すと、涙腺がゆるんできて、勝手に涙が目にたまってくる。
 それなのに、私とつきあっているときから元カノとも連絡をとりあっていた。悪いけれど、やっぱり忘れることができない、といって、元カノのもとに戻っていったのだった。くやしい。

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