糸崎公朗(写真家・美術家)

「フォトモ」という写真を切り抜いて組み立てる方式の3D写真が代表作。1999年キリン・…

糸崎公朗(写真家・美術家)

「フォトモ」という写真を切り抜いて組み立てる方式の3D写真が代表作。1999年キリン・コンテンポラリーアワード優秀賞。2000年度コニカ・フォト・プレミオ大賞受賞。第19回東川賞新人作家賞受賞。『日本の新進作家vol.12』(東京都写真美術館、2014)出品

最近の記事

転売ヤーはなぜムカつくのか?

「転売ヤーとはなにか?」について、特にその存在にムカついている人にとって、今さら説明の必要はないと思います。 ところが一方で、「なぜ転売ヤーはムカつくのか?」という理由について、私自身は何かモヤモヤしたものがあり、明確な答えを出せないでいたので、これついてあらためて考えてみたのです。 まず転売ヤーに対してムカついてるのはどんな人かといえば、その転売されている品物が「本当に好きな人」であり、端的に「趣味人」と表現していいかと思います。 私は趣味人としてはカメラが大好きで、

    • アートの本質・見ることは「眼で撫でる」こと

      今回は、写真を含めたアートとは何か?について考えてみたいのですが、そもそもアートとは人間が「見る」ことで成立するものですから、まずは「見る」とはどう言うことか?から考えてみたいと思うのです。 ****** さて、英語では写真をstill (静止画)と言い、映画をmovie(動画)と言いますが、まさに写真も絵画もそれ自体は静止して動くことがありません。 しかし実は、それを観る人間の眼は常に動いていて、止まることがないのです。 これは自分で実験してみると分かるのですが、写真で

      • ヨーロッパ絵画から逆輸入される江戸の先進性

        (添付画像は北斎と広重の影響が見られるモネの作品を集めております。) 明治以降、日本には欧米から様々な文化が輸入されましたが、それらの多くはヨーロッパの伝統文化ではありませんでした。 つまりヨーロッパ文化は伝統を否定しそれを乗り越えた近代化によって変化し、その「変化した文化」が日本にもたらされたのです。 その変化はヨーロッパ内部の事情によって、自律的に起きた変化だと言えます。 しかしこれまで私の投稿で見たように、絵画をはじめとするヨーロッパはアートは、近代になっても自

        • 江戸の浮世絵が「写真」に影響を与えた

          「近代」とは、18世紀後半からイギリスで起きた産業革命以降の時代を指しますが、その第一の特徴は「スピード」だと言えます。 産業革命により生み出された工業機械は手作業をはるかに上回るスピードでものを生産し、鉄道など交通網の発達により人々は馬よりはるかに速いスピードで移動するようになりました。 それと共にイギリスでは名誉革命が起き、フランスではフランス革命が起き、そのようにして社会構造の変化のスピードも急激に加速してきたのです。 ところが近代初期のヨーロッパ絵画は、世の中の

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          「写真」に先駆けて「写真的」だった江戸時代の浮世絵

          江戸末期から明治にかけて、日本にはヨーロッパから「写実絵画」と「写真」が同時にもたらされ、そのどちらもが本物のようにリアルだったので、当時の人々は大変に驚きました。 しかしそれはヨーロッパでも似たような状況で、1839年のフランスで「写真」なるものが突然として発明され、程なくして日本から「浮世絵」がもたらされ、どちらもこれまでにないリアリティが表現され、こちらの人々にも相当なインパクトを与えたのです。 しかし発明されたばかりの「写真」と、日本からもたらされた「浮世絵」では

          「写真」に先駆けて「写真的」だった江戸時代の浮世絵

          江戸の浮世絵からヨーロッパ近代絵画が生まれた

          日本は江戸時代に鎖国していて、明治維新になってヨーロッパの近代化の波が押し寄せて、社会システムから文化までガラッと変わり、アートもその例外ではありませんでした。 特に日本の伝統的な絵画が浮世絵にしろ肉筆画にしろ、輪郭を線で描く表現だったのに対し、ヨーロッパの写実画は「まるで本物のようだ」とずいぶんと驚かれ、洋画を志す日本人画家も増えていったのです。 また日本の伝統的な絵画もヨーロッパ式の人体デッサンの影響などを受けながら、「洋画」に対する「日本画」としてのアイデンティティ

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          【日本とヨーロッパ・平行進化の歴史】梅棹忠夫『文明の生態史観』

          今回は、「日本美術史」と「西洋美術史」の関係を考える上で重要な本を最近読みましたので、それについてなるべく簡単に、かつ分かりやすく紹介しようと思います。 それが梅棹忠夫『文明の生態史観』という本なのですが、もとの論文の発表が1955年で、それ以来たびたび復刊されながら読み継がれてきたロングセラーでもあるのです。 私はこの『文明の生態史観』というタイトルだけは知っていたのですが、ようやく読む事ができて、しかも内容が素晴らしく、感銘を受けてしまったのです。 https://

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          日本美術史と世界美術史

          一般に、「日本美術史」と「西洋美術史」とは分けて考えられますが、それは単に地域の違い以上の意味を持っています。 すなわち、日本美術史が「日本」というローカルな美術の歴史なのに対し、西洋美術史は「世界美術史」としての意味合いを多分に含んでいるからです。 それは「世界史」が実質的に「西洋の歴史」を中心に書かれていることに対応しています。 つまり西洋=ヨーロッパは文明の起源であるメソポタミアからエジプト、ギリシャ、ローマ、中世、ルネサンス、そして産業革命とフランス革命を経た近

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          全ての文明は繋がっている

          前回、日本人には自国の歴史を自虐的に捉える「自虐史観」のクセがあって、それが日本の美術史にまで及んでいる、ということを述べました。 https://note.com/itozaki_photoart/n/n08fd6b50c279 それで続きとして浮世絵を始めとする日本のアートが、ヨーロッパの近代絵画に、そして「写真」に大きく影響を与えたことについて書こうと思ったのですが、その前提として、今回は「全ての文明は繋がっている」という話をしようと思います。 一般に「日本文化とヨ

          全ての文明は繋がっている

          日本のアート自虐史観

          日本人はどういうわけか自国の歴史を自虐的に自己卑下して捉える癖があって、それを「自虐史観」というのですが、どうやらそれがアートの分野にも持ち込まれていることに、ふとあらためて気付いたのです。 一つには「江戸時代までの日本には「芸術」という言葉がなく、だから「芸術」の概念は明治になってヨーロッパからもたらされた」という言い方です。 https://amzn.to/45hOYLS しかし考えてみると、一方では「日本美術史」という言葉があって、日本には古くは縄文土器から埴輪、

          アルベルティの『絵画論』から分かる「現代アートとは何か?

          現代アートとは何か?というのはなかなか難しい問題で、いろんな人がそれぞれ定義していますが、自分としては今ひとつ納得できるものがなく、ハッキリ分からないままでいました。 ところが最近、アルベルティという初期ルネサンスの人が書いた『絵画論』(1436年)という本をたまたま読んだところ、期せずしてそこに「現代アートの本質」がズバリ示されていて、私としては非常に納得できてしまったのです。 いやもちろん普通に考えて、600年も前に書かれたこの本に「現代アート」についての記述があるわ

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          アートにおける上品と下品

          *今回はFacebookメッセンジャーからリクエストをいただきましたので、「アートにおける上品と下品」について書いてみます。 ***** 一般に「下品」という言葉はあまり良い意味では使われませんが、「あの人は下品だ」とか「この作品は下品だ」などいうと悪口になるわけです。 一方で「上品」は基本的に褒め言葉ではありますが、「あの人は上品だ」とか「この品物は上品だ」のように、ともすれば一般庶民から遊離した上流階級の価値観をあらわし、嫌味な悪口に転化する可能性もあります。 し

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          常識は正しい。

          私は写真とかアートなどについて、ともすれば「非常識」なことをいろいろと書いておりますが、一方で「常識」の正しさや重要性は十分に理解しているつもりなのです。 デカルトの有名な言葉「我思うゆえに我あり」が記された『方法序説』という本には、その前段階に「常識」というものがいかに重要なのかについて述べられた箇所があります。 まずデカルトは、何か判断に迷った時、自分が属する世間一般で通用している「常識」に従えば、取り敢えず間違えることはない、と述べています。 「常識」とは一つの指

          写真の発明者は動画も発明していた⁈

          前回は、動画(映画)の技術は写真の技術の応用で、それを考えると「写真」の方が先ですが、しかし写真の発明以前に「残像現象」を利用したアニメーション装置が発明されており、その意味で「動画」の方が先である、というお話をしました。 しかし今回はまたちょっと別の観点から、「写真」と「動画」の歴史について考えてみたいと思います。 世界で最初に「写真」の撮影に成功したのはフランス人の発明家ニセフォール・ニエプスで、1824年だったと言われています。 ところがニエプスが開発した写真術は

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          写真と動画、どっちが先に発明されたのか?

          今の時代はデジカメでもスマホでも、「写真」と「動画」の両方が撮れてしまいます。 しかしほんの一昔前まで「写真用カメラ」と「動画用カメラ」は別物として存在してましたから、これらが統合された現在の状況はなかなかスゴイのです。 「写真」の歴史を振り返ると、それはヨーロッパの伝統的な「写実絵画」の延長上にある、というお話は以前もしました。 なぜなら1989年にフランスで「写真術」が発表される以前からヨーロッパには「カメラ」(カメラオブスキュラ)が存在し、画家たちはそれを使って「

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          【いろいろな見方】について

          昨日投稿した【写真史と美術史を分けないで考える】と言う記事に対し、facebookのコメントから、なかなかに有用な問題提起をしていただいたので、それついて考えてみます。 まずそのコメントを引用させていただきますが、 と言うことで、全く正しいことを仰られており、辞書的な意味でも「写真」と「絵画」は全く定義が異なる別物なのです。 ヨーロッパの画家がカメラオブスキュラを利用して「絵画」を描いていたのは事実だとしても、それを「手描き写真」と称して「写真」と同列に語ることは、非論

          【いろいろな見方】について