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日本美術史と世界美術史

一般に、「日本美術史」と「西洋美術史」とは分けて考えられますが、それは単に地域の違い以上の意味を持っています。

すなわち、日本美術史が「日本」というローカルな美術の歴史なのに対し、西洋美術史は「世界美術史」としての意味合いを多分に含んでいるからです。

それは「世界史」が実質的に「西洋の歴史」を中心に書かれていることに対応しています。

つまり西洋=ヨーロッパは文明の起源であるメソポタミアからエジプト、ギリシャ、ローマ、中世、ルネサンス、そして産業革命とフランス革命を経た近代、現代に至るまで、ほぼ一直線上に歴史を語ることができるのです。

一方、ヨーロッパ地域で高度な古代文明が栄えていた同時代、日本の地は未だ狩猟採取生活の縄文時代で、圧倒的に遅れていたのです。

そして日本で文明国家が成立し、支配者層に文字の使用が一般化したのは、エルサレムでイエス・キリストが生まれた何百年も後になってからでした。

その後、日本は近隣の先進国である中国や朝鮮などの影響を受けながらも、基本的には島国として独自の歴史を歩み、明治維新の近代化を経て、現在に至るのです。

ですから今でこそ「西側諸国」の仲間入りをし、世界史の一端を担う日本ですが、その起源を遡ると歴史的にはローカルな傍流にしか過ぎません。

従って日本史が世界史の傍流として扱われるように、「日本美術史」も「西洋美術史=実質的な世界美術史」の傍流として扱われているのです。

それは中国も同様で、メソポタミアに次いで古い歴史を持つ中国文明ではありますが、ヨーロッパが近代化を成し遂げた頃には後進国へと転落し、中国史も中国美術史も歴史の傍流として扱われてしまうのです。

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しかし、前回の記事で述べたように、文明の起源は古代メソポタミアの一点で、そこから世界中に「文明」のシステムが広がったと考えると、日本美術史も世界美術史の一部として、地続きに捉えることができるのです。

例えば「仏像」は日本の伝統的な人体彫刻ですが、もともとは中国から伝わったもので、日本のオリジナル美術ではありません。

では仏像は中国のオリジナルかと言えばそうではなく、インドから伝えられたのです。

そのインドは仏教発祥の地であはりますが、「着物にヒダがついたリアルな人体彫刻」の作り方はギリシャから伝わったのです。

そしてギリシャの彫刻はエジプトから伝わり、エジプトの彫刻はメソポタミアから伝わったのです。

そのようにして起源を辿ると、日本の伝統美術のように思える仏像彫刻も、文明の発祥である古代メソポタミアミア美術と一直線上に繋がっているのです。

絵画にしても、ヨーロッパと日本ではずいぶん異なるように思えますが、元を辿ればメソポタミアの一点につながっており、その意味でさまざまな共通点が見出せるのです。

そもそも「文明の美術」はそれまでの「原始美術」と違って、人物など対象物のリアルな描写や、黄金分割による美しく端正な構成を特徴としています。
それは原始美術に比べて文明の美術の方が、そこに投入された「知性の量」違うことを示しています。

なぜ美術に知性が投入されるようになったのか?それは文明において美術とは「国家の威信」ひいては「国力」を示すために作られたからなのです。

文明国家は原始時代に比べてたくさんの人々を集めなくてはなりませんから、並外れて高度な知性と技術を投入して作られた「美術」によって人々を魅了し、尊敬を集め、「国家」を形成するのに必要な人員を集めたのです。

産業革命以前の世界では、絵画や彫刻などの「美術」が人間が作り得る最高に高度な人工物でした。

ですから美術はその国の国力をダイレクトに示すものであり、国家プロジェクトとしてさまざまな美術が作られたのです。

古代ギリシャの伝承で、美術にまつわるこんな話があるのですが、ある都市国家が別の国と戦争になりそうになった時、同盟国から美術品を大量に借りて宝物庫に運び入れたのだそうです。

そして敵国の使者に、美術品でいっぱいの宝物庫を見せたところ、「これだけの国力のある国と戦争すると負ける」と相手の王様に報告され、戦争が回避されたと言うのです。

それだけ古代では美術品が大きな意味を持っていたのです。

日本にしても、仏教を規律とした国家が成立したと同時に、国家プロジェクトとして美術としての仏教寺院が建てられ、仏像や仏画などが製作されたのです。
 

もちろん、初期の日本美術は中国のコピー品の色合いが強くありましたが、やがて日本独自の美術へと発展してゆきます。

しかしその際も単に我流として発展したのではなく、古代メソポタミアから受け継いだ「リアルな描写と端正な構成」と言う文明としての美術のエッセンスを、独自に解釈しながら発展させたものなのです。

その意味で西洋美術と日本美術とは、遠く地を隔ててほとんど交流がなかったとしても、それぞれにメソポタミア発祥の「文化的遺伝子」を受け継ぎながら美術そのものを発展させ、共に「世界美術史」を形成してきたといえるのです。

もちろん、日本の美術がヨーロッパの美術と独立して固有の発展を遂げてきたことは「事実」ですし、日本美術史を世界美術史の傍流と捉えることは間違いではなくむしろ「正しい」と言えます。

しかし歴史というのはいろいろな事実が解明されるほどに複雑になり、正反対の見方が同時に成立するようになり、むしろ様々な視点で捉えないとその本質を見逃してしまうのです。

そんなわけで私は「写真史と美術史を分けない」とか「全ての文明は繋がっている」などこれまでとは違った方向からアートや写真について考えていこうと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。