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不仲な両親、一人っ子の私。



私は生まれて23年、



両親が仲良くしている記憶が全くない。



正確に言うと


両親が戸籍上同じだったのは


私が21才まで。



両親は私が21才のときに


”ようやく”離婚したのだ。




幼少期の記憶は全くないが、


小学生頃の記憶ならある。



私は両親が仲良くしているところを


一瞬も覚えていない。



両親は基本話さなかった。


日常会話なんて見たことがない。


話すときは喧嘩のときだけ。



戸建てに住んでいた私たち家族の


生活圏内は父は2階の自室。


母は1階のリビング。



母と一緒にいることが多かった私は、


母が父にイライラしている姿をよく見た。


そして、用事があって
1階に降りてきた父に対して


「なあ。」(標準語で言う「ねえ。」)


と母が言う。


父も母が怒っていることを察して


「なに」


とぶっきらぼうに言う。


そこからは戦争の始まり。


母の「なあ」は戦いのゴングだ。



怒涛の勢いで母が怒鳴り散らかす。


内容は「お金」のこと。


父は母が生活費として置いておいた
お金を黙って取っていた。



「また返すって」と父が言う。



パチンコに使っていたのだ。



母がギャンギャンと怒って



父は「近所に聞こえたらどうするん!」



母「自分のせいやろ!」



の繰り返し。



戦いが消息するタイミングは


全く覚えていないが


戦いの最中の「私」の様子は覚えている。


なんかのドラマみたいに


部屋の端っこで体育座りして


耳を塞いで泣いているのだ。


「辞めてよ」と言っていたかも。


今思えば、悲劇のヒロイン。


子役みたいな。



戦いの最中、母は物を投げていた。


怒って車でどこかに行ってしまった記憶もある。


そんな喧嘩が月イチペースであった。



普段、私に温厚な母が


父と唯一話すとき(戦い)は


ガラリと豹変する姿が


怖くて、印象的だった。



しばらくして落ち着くと


「ごめんな、ごめんな」と


母はたまに涙を浮かべて


私に謝った。


一方の父は、母のいないところで私に


「困ったお母さんやなあ」と


悪そびれる様子はなかった。


一人っ子の私は


月イチで来るダメージの大きい戦いについて


誰とも感情を共有することはなかったし


誰かに話すわけでもなかった。



今思えば、祖父母に話せばよかったが


小さい頃の私は


両親がいる家族が当たり前と思っていた。


離婚して欲しくなかったから


離婚という形で解決されると困るため


祖父母には言わなかった。



そんな私が中学生になる頃に


ピタッと喧嘩がなくなった。


恐ろしいほど、なくなった。


詳しい理由は知らない。



母が納得する形で



金銭管理について決め事があったのだろうか。


とにかく父と母は喧嘩することが無くなったため



全く、話さなくなった。


父は仕事から帰ってきたら


2階の自室へ。


それでも同じ家に住んでいたら


二人が顔を合わせることはあって


その時は本当に冷や冷やして


一触即発が怒らないことだけを祈っていた。



では、なぜ離婚するに至らなかったのか、


それは父が拒絶をしていたからだ。


父は自身の両親の体裁上、


離婚という道は拒絶し続けていた。


「そんなん恥ずかしくて家帰られへん」


とよく言っていた。


母は何度か離婚の話を


メールで父に送ったり、


手紙を書いて父の部屋に置いたりしていた。


その度に父は私にLINEで


「もう死にます。」


と送ってきていた。


「さようなら」とか。


父は私が中学生のときくらいから


心療内科に通っている。


ストレスで動悸がしたり


脚が震えたりするそうだ。


そんな父から自死願望のLINEが来ると


私は「そんなん言わんといて」


「お父さんのこと必要としてるのに」



と慰める言葉を送る時もあれば


娘に「死にます」とか言わないで!困るねん!


と腹が立って言い返す時もあった。


当時の私はとても、とても困っていた。


自分の部屋で首を吊っていたらどうしよう。。


父の帰りが遅い日はとても心配した。


そういった父とのやり取りは


両親が離婚するまでの7年間ほど


コンスタントにあった。


そして、私が21才のとき


父は母からの離婚依頼を飲んだ。


母が相当なお金を払って


父に離婚依頼を持ちかけたからだ。


パチンコなどで浪費し


娘の私からもお金を借りていた父の貯金額は


毎月ゼロに近かった。


だから銀行からも借りていた。


家や車のローンや私の学費を払ったりすると


カツカツだったらしい。


ついに苦しくなり、


母が家や車のローンを全て払う



といった条件で


離婚に着地した。



父は私が大学四年生の11月頃に


実家に帰った。



父の両親はどう考えているのか、


聞いたことはない。


父は1年ちょっと経った今も


実家で80後半の両親と犬と暮らしている。



久しぶりに父と会って


感じたことは太ったということ。


以前は、朝ごはんなんて食べなかった父は


毎朝、食べているらしい。


環境が変わり、少し元気になった父を見たとき


私は嬉しかった。


すごくすごく心配していたから。


少しずつ状況を受け入れている様子が見えた。


そして、めっきり
死にますなどというLINEは来なくなった。


母もせいせいすると何度も言っていた。



両親はとても不仲だったけど


2人は私のことがずっと好きだった。


それは今になってよく感じる。


子供の頃は、なんで私が嫌がること(喧嘩)をするのか


と思っていたけど


今は、二人は色んな葛藤がある中で


それでもずっと私のことが


好きだったんじゃないかと思う。


仲のいい家族スタイルを見たことがない私は


自分の家族を持つ時が来た時に


ちゃんと幸せに出来るだろうか、と心配になる。



父は今も心の病気と戦っているが


旅行が好きな父とは旅行をしたい。


母は最近正社員登用されたから


ゆっくりと散歩をしながら話したい。



それぞれの形で、


父も母も私も幸せになりますように。



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