見出し画像

不便な思いをしてる人ほど

ひさびさに書いてみようと思い立ちました。

昨日ね、

「左ききの道具店」なるものに行ってきたんです。そしたら、めちゃくちゃ共感と感動!!

私は本当は全て左利きです。

利き手変更歴は以下の通り。

お箸→右に矯正済み
スプーンとフォーク→右に矯正済みから再度左へ
ペン→ずっと左(矯正しきれず断念)
書道→左から右へ持ち替え(自分の意志で)

他は、道具と運動ももちろん全て左です。

私が幼かった当時も、
社会人になったばかりのほんの20年ほど前も、

お箸を右に矯正をしないと、本人(私)の社会的なマナーが欠けていることになるし、もちろんその親(母親)の躾に対する姿勢を批判する風潮すらありました。

実際、私はいろんな人とのやりとりで

「お箸だけでも右に直してくれて母に感謝してます」

と自然と返事をしていました。
(よく噛み締めると、とても怖いフレーズなんですが、わかりますか?)

母は必死に右利きに直してくれたようでした。
我が子が恥ずかしい思いをしないように、また、自分の子育てを批判されないように。

5歳の私、うまく使えない右手でお箸やフォークやクレヨンやえんぴつを持つことに、苦しくて苦しくて、怒りも感じていました。

でも、利き手の矯正は、
「絶対にしなくてはいけないこと」でした。

そこから私の、「不便を丸ごと受け入れる」「社会が求めてる私の役割を丸呑みする」ことのクセが始まったように思うんです。

左利きを矯正する母に対しての恨みがあるとかそういう話ではないんです。

男子ならば左利きも許される空気感になりかけの時代に左利きの女子として生まれ、私自身でさえ気づかず、自身の矯正を当たり前に(感謝さえして)受け止めてきていたことにやっと気づいた話です。

左ききの道具店の商品前に置かれたポップのコメントを見て、当たり前のように丸呑みしていた不便さがあったということを知ったんです。

一方で、右利きの人たちは日頃から便利だなと感じて過ごしているかというと、そうでもないですよね。
右利きの人たちは、日本のいろいろが右利き仕様であると感じるチャンスはきっとそれほど多くないはずです。

ここには、お互いに気づかない「不便さ」と「便利さ」があるだけ。

ならば、不便な方が引っかかりポイントがあるから気付きやすいかも、と考えたら…
違和感を覚える側が「こういうことに疑問があるよ」と挙手するのはアリなんじゃないかなと思ったんです。

利き手の話は、あくまで私の気付きのきっかけにしか過ぎませんので悪しからず。

不便な思いをしている人ほど、優しさと希望を持って、そして伝える相手への思いやりを忘れず、自分の意見を伝えるチャレンジをしていけたらなと感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?