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苦労話のあれこれ

苦労話を自慢のように話す人が苦手だった。

苦労人=人間できてる

みたいな図式を自分に採用してる人が苦手だったんです。

恥ずかしくない?それ?
苦労が武勇伝になるのは、
偉人伝レベルの話だし。

自分の苦労話を自慢のようにしてるのは
だいぶ恥ずかしいよ!

って思ってる。
(毒を出してごめんね!)

それにさ、
みんなそれぞれ、
生きていればこその

苦しかったこと
悲しかったこと

戦わざるを得なかったこと
逃げるしかなかったこと
逃げることすらできなかったこと

流せなかった涙
止められなかった涙

あるよねって思ってる。

みんなそれぞれ自分の人生で
向き合って苦労があるはず
という前提で話さないと赤っ恥をかくよ。

と思っていたわけです。

だから、私は苦労話はしないことにして、
苦しかったこと、
悲しかったことを話さないで生きてたの。

…そしたらびっくり!

「苦労知らずの甘ちゃん」

「ずっと幸せそうでいいわね」

「次に苦労するのはあなた」

などと言われるじゃん。

で、そんな言葉をもらっているうちに
いつしか私も、

苦労話をしない人のことを
少しそういう目で見てた。
「きっとこの人は
幸せに生きてきたんだろうなぁ」って。

やばっ!!

やめだやめだ!!!

苦労話に取り憑かれてたのは私。
「苦労話をしない苦労」をしていた私。

私、全然だめじゃん。

そう気づいたから、
苦労話それ自体に
フォーカスやジャッジするのやめる。

相手が何を言わんとしてるのかの本質を見るようにする。

自慢の意図なのか、甘えの心なのか、自信のなさの裏返しなのか、その人が苦労話に潜ませてるものがあるから。

逆に、打ち明け話として自分の過去や今の苦しさを話してくれる人もいる。
そういう話は、癒しや勇気や共感をくれる場合がある。

だから、さ。

私は自分が話す時は、心持ちに注目する。

奢ってないか、
自慢の心になってないか、
卑屈になってないか、
同情を誘ってないか。

話したい時には話す。
話したくない時には話さないでいる。

自分の心地よい雰囲気を採用する。


何言ってるか収拾がつかない。
自分でもわからない殴り書き。

蠍期間の終わりに。


読んでくれてるあなたへ

いつもおつかれさま!
ありがとう!!!

あなたの人生の輝きがますます大きくなりますように。愛を込めて。

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