見出し画像

もう「友達」するほどナイーブさはない

大学のだべり仲間にもいたある2人とここ1年ほど会うのを辞めている。
2人は地方出身の私にとって数少ない同じ上京組で気心の知れた存在。

東京に来てから1年ほどは先に関東圏で働いていたAといつも遊んでいて、興味のありそうな舞台やグルメフェスティバルなどがあれば、私の後に上京してきたB含めその2人にまず連絡を入れていた。

私は、昔から大人の話に入ったり、自分が輪入ってないところにすぐ頭を突っ込む「知りたがり」の子だった。それは、今思うと寂しがりで異常な置いてきぼりへの拒否反応だったんだと思ったりする。
その気持ちは今も依然としてあって、みんなの輪に入れてないかもしれないという不安は自分の人の誘い方にも影響している。少し面倒でも9割来ないと分かっていても興味ありそうとか誘いたい人にはとりあえず連絡することを心がけることにしている。
一番は声をかけることや、貴方のこと気になってるよという意思表示をすることが大切だと思っているからだ。

完全にこっちの自己満だし、貴方と一緒に遊びたいの(はーと)というラブコールを送ってる感覚。そして、結局くるかこないかは相手の判断で、それを事前に来ないと断定するのはどうかと思うのだ。
(結局、自分がされたくないからしないよう気をつけてる節がある。「お前に可否を判断されたくねぇ!お前にその権限はねぇし、誘ってもねぇくせに勝手にこっちが断った感じになるなよ!」という。…口わる~)

しかし、2人とそこの考え方が徹底的に違った。
大学の頃から何度「何かの拍子で行けるかもしれないし、寂しがり屋だから連絡をもらうだけでもうれしい、だから少しでも顔が浮かんだのなら誘ってほしい。」と言っても向こうからはめったに連絡してこないのだ。(5~6年はことあるごとに言っていたはず。)
その理由は、ほぼ「藻女は平日休みで休み合わないだろうし、忙しくてこないだろうと思って。」だ。そして、誘ってくれても大体、来週の土日や割と直前を言ってくる。(私の休みが平日休みと知っての愚行なのか!!と脳内の御奉行様が叫ぶ。)
Bに至ってはまだ「私は自分から誘えないの。」と言う。(アラサーにもなって…と思ってしまう。)

わりにBはSNSでよく、気づいてくれたらラッキーな空リプ集を発信している。「あ~藻女とAとかと飲みたい」だの「○○は元気だろうか」とかいう類の。(白目)


そんなモヤモヤがある中の約1年前の残業帰りの夜。
私は残業終わりで変にハイになっていて、乗り換えをするはずの駅から歩いて家に向かっていた。信号待ちの時、何気なく携帯でツイッターを開いた。Bが大学の頃、だべり仲間らとよくやっていた誕生会をいつの間にかAとBの2人でやったという報告のツイートをしているのを見つけた。ケーキとちょっとした食事の写真とともにあがっていて、とても幸福感があふれた投稿だった。


それはそれで楽しく嬉しかったんでしょうねと嫌味を言いたくなった。
私は何一つ聞いていなかった。見事な仲間はずれ。


そして、それを私も目に触れることのできる媒体に載せたことへの無神経さが残業疲れの体とハイになった頭へ一気に流れ込んできた。
わ~そういうことしちゃうんだ、やっぱり~という冷めた感想が浮かんだ。
その時からこの2人は私の知ってる「友達」とは違う存在となった、冷めた気持ちになったのは、途端に2人への関心も思いやりたいという気持ちがなくなったから。
結局、どうやっても彼女たちは受身なのだと確信した。
(そして、私は今まで彼女たちにいいように呼ばれたただの人だったのかも知れない。一番に呼びたいと思う「友達」ではなかったのかもしれない。)
彼女たちへの同属嫌悪リミッターも振り切れた。

だから辞めた!

AやBと会うためにはいつもでもこっちが気づかないといけないだろうか。いつでも私から誘って日程を合わせなくてはいけないのだろうか。
そして、時折ある気づいてサインに気づかず、誘ってくれたらよかったのにとなじると、「藻女が忙しいと思ったから。」などとこちらに原因があるかのような言い方をされるなんて。マジ疲れる。真顔で言うから心の中で白目が全開だ。それはずるいと思うよ。
そのずるいやり方で自分を守っているとしか言えない。加えてその場面に遭うと反射してそういう面が自分にもあるんだろうと自覚させられて、なんとも苦い気持ちになる。なんと不幸せな関係なんだ。

声をかける手段はなんでもいいのに。SNS(ただしDMに限る)でも、LINEでも電話でも手紙でも。人づてでもまぁいいし、家が近かったらドアにメモを貼ってくれてもよかった。伝えたい人に気づいてもらえないとやってないと同じだと思うんだ。
だけど、彼女たちはそういう風にはやらなかったし、逆に私が彼女たちにとってそこまでの行動を出るほどの存在ではなかったのかと思うと悲しい。
これまで会った時間や話したこと、掛けてくれて嬉しかった言葉はなんだったんだろうと感傷に浸り、落ち込む。

だけど、

以前の「あの牛のとこにいるねで通じる私たち」の関係を保ちたいからといって、なにもかも以前の方法で会えるわけじゃない。あなたと同じように私も忙しい、かまけていられないよ。なのだ。
そして、私は「知りたがり」のピカピカの独身アラサーだ。自分のためにお金と時間を使っていいはずだし、社会と触れ合う場面が少ないわけでも、時間がないわけでもない。

私はその無神経な近況報告からほどなくつながっていたSNSのアカウントを削除し、こちらからの連絡を一切せず、生活を続けている。大学からの友達を失うリスク、社会人の友達づくりの難しさのリスクを飲み込んで、我慢するほうがましだと思うほど人間関係に対してナイーブではもうない。

いつかまた遊ぶ日が来るかもしれないね。だけどそれまでさよなら、互いに達者でいよう。

やっと、大人になったのだ。できるだけ上機嫌に心地よく互いに生きていこうよ。新しい時代になった、世界は思わぬほど広い。
広いところでのびのび生きたい、私は。