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おにぎりと細雨【短編小説】2000文字

風呂上り、ヒノキの香りに包まれながらノドを潤すためにキッチンへと向かう。
このゲストハウスには大きなヒノキ風呂がある。
マコトは駅の宿泊案内ポスターで見かけて入ってみたくなり、直接訪ねてみたところ部屋が空いていたため、ここに決めたのだ。
薄暗いキッチンの冷蔵庫を開けると御利益がありそうな光に包まれた。
中から地ビールを取り出し、冷蔵庫の側面に掛けてあった栓抜きで王冠を開ける。
カラン、カーン、シュルルルと王冠が床に転がり、拾うついでに、風呂に入る前にセットした炊飯器を確認した。炊飯器に貼った付箋の『二宮』の名前と炊き上がり時刻が、暗がりにうっすら確認できた。

スマホのアラームで目を覚ますと窓は小さな雨粒で濡れていた。
マコトが目を凝らして窓の外を見ると、細かな雨が庭の木々に降り注いでいるのが見えた。
彼女が出て行った日も、そういえばこんな日だった。
マコトは広い背中をほぐすように大きく背伸びをし、肩をぐるぐる回して部屋を出た。
ちょうどご飯が炊きあがる頃だ。ピーッ、ピーッとどこか懐かしい音がした。

「うわぁ、おいしそ」
炊飯器の蓋を開けると、たっぷりと熱い水分を含んだ湯気が立ち上ってきた。つやつやでまだしっとりしているご飯をかき混ぜる。
切るように。余分な水分を飛ばすように。さっくりと。
一緒に入れた押し麦が全体に馴染むよう、マコトは背を丸くして丁寧にご飯を扱った。
ボウルを軽く濡らして、ご飯をよそう。しゃもじで1回、2回、3回、4回。
オーナーから使っていいよと言われていた粗塩を振りかけ、また混ぜる。
「んー、もうちょっとかなぁ」
振りかけては一口つまみ、振りかけてはまた一口。これだけで茶碗に軽く1杯は食べたかもしれない。

彼女が作るおにぎりは塩味だった。
毎朝作ってくれていたおにぎりは市販のおにぎりの素ではなく、塩で味付けがされており、真ん中に鮭や昆布が入っていた。
彼女のお弁当にも同じものが入っており、豚の生姜焼きだったこともある。
そういえば、最後のおにぎりは焼きタラコだった。マコトの好物だ。
今朝の具は、このゲストハウスのオーナーが漬けた梅干しだ。
ご自由にどうぞと勧めてくれた。
昨日も食べたが蜂蜜入りでほのかに甘くマイルドで、酸っぱいのが苦手なマコトでも食べることができた。

キッチンにラップを広げて、その上にご飯をのせていく。
しゃもじでそっと広げて、真ん中に種を取った梅干しを置き、ラップの四隅くっつけるように合わせると、マコトはラップごと大きな手でご飯を包み込んだ。
マコトの手は大きくて滑らかだ。指はすらりと長く、爪はいつもきれいに切ってある。
ラップ越しでも炊き立てご飯は熱く、なるべく手が触れ続かないように軽くぽんぽんと、三角になるよう回しながら整えていく。
昨日の朝もおにぎりに挑戦したのだが、直接手にご飯を乗せると熱くてやけどしたかのように真っ赤になり、その日は大人しく茶碗によそって食べた。
その後、オーナーからラップで握る方法を教えてもらったのだ。
「ちょっと大きくなりすぎちゃったかなぁ」

入社二年目。有休を取るタイミングが自分ではわからず、見かねた上司からの指示で平日の3連休を得て、マコトはここにいる。
ずっとアパートにこもっていては、休暇明けに上司に合わす顔がないと思い、とりあえずリュックに荷物を詰め込み、行き先を定めることもせずに気が向くままに電車に乗っていた。
彼女とは大学の頃から付き合っていた。一緒に暮らしていたアパートから彼女が出て行こうとしても止めることはしなかった。
お互い社会人になって、よくあるすれ違いが自分たちにもやってきたのだと思ったが、マコトはやっぱり寂しかった。
誰かと話がしたい。
今日の天気やテレビから流れてくるエンタメ情報、いつも行くスーパーのレジに新しいパートさんが入ったこと。
話す内容によって変なイメージをもたれないよう気を付けるようなことはしなくていい、どうでもいいことを日常で話したい。

少しいびつで大きな3個のおにぎりが出来上がった。
コンロに置いてある鍋に入っている味噌汁は自由に飲んでいいと聞いていたので、鍋の蓋を開けてみた。
お玉で軽く混ぜてみると、ふんわりとカツオ出汁の香りがして、大きく切ったキャベツとニンジンが舞い踊り、透明なタマネギがふわりと浮かんできた。底にはごろりと鶏団子がいくつも転がっている。
「おぉー、朝から豪華だ」
マコトは鍋を温め直し、今から食べる朝ごはんが更に楽しみになった。

器に味噌汁をよそい、おにぎりには海苔を巻いた。
リビングの窓際のカウンターに座ると、誰かがつけたままのテレビから海外の俳優が新作公開のプロモーションのために日本にやってきた話題が聞こえた。
「なんだっけなー?」
俳優の名前から以前観た映画のタイトルを思い出そうとするが、思い出せない。
窓から見える濡れた緑の葉は、太陽の優しい光でキラキラと輝いている。
2階からギシギシと物音が聞こえた。
「・・・いただきます」
大きな口でおにぎりにかぶりつくと、パリッと海苔を噛み切る音が耳に届いた。
今日はいいスタートが切れそうだ。

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