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2月:祝福のシュークリーム【短編小説】1300文字

「好きだよ」
桃色の唇がうっすらと開いた。4文字で蕾が花開くような、甘い囁き。
あぁ!この気持ちをどう伝えよう。
どう言えばこの想いがちゃんと届くのか、願わくば相手の心に響いて揺らいでくれるような。
やっぱり、頭で考えるより、ストレートなこの言葉には叶わない。
「私も・・・好きです」
先輩の顔を直視することができず、二人の間にある雑誌に目を落とす。
午後の勤務開始まであと5分。
この季節には珍しく太陽の光がカフェスペースいっぱいに降り注がれて、窓際の席に座っている先輩の細く長い指を輝かせる。
もう私たちだけが離れがたく座っていた。

フロアが別々な先輩と別れ、雑誌をぎゅっと抱きしめて歩いた。
一緒に見ていたページは仕事に行き詰まったり、一段落ついたタイミングで見返していたら、同僚に見つかってしまった。
「そこ、新店でしょ?その写真のシュークリームがおいしいんだって」
グレーの皿に白いレースペーパーがのせてあり、その上にパリッとした皮で包まれたシュークリームが、上からふんわりと粉砂糖をまとっている。
圧倒的な存在感。
急に新参者に負けたような気持ちになり、仕事終わりに粉砂糖を買って帰ろうと思った。

会社を出た頃には、もう20時を半分以上過ぎていた。
仕方なくどこにも寄らずに帰宅するや否や、冷蔵庫からたまごとバターを取り出した。
慌てなくてもいいのだが、いそいそと部屋着に着替える。
もう気持ちが高ぶって仕方ない。
お気に入りの雪平鍋をコンロにかけ、バターを入れるとすーっと滑ったところで牛乳と水を入れ、少しふつふつとしてきたところにグラニュー糖と塩を加えた。
バターが染みるミルクの香りで落ち着きを取り戻す。
それもつかの間、雪平鍋の中身がぶくぶくと泡を立てた。
一気に小麦粉を入れて、ゴムべらで混ぜる。
シュークリームが膨らむポイントの一つは、生地を温かいまま焼くことができるかどうかのため、急ぐ。
ぐっ、ぐっ。べたー、べたー。
粘りが出るまで手早く混ぜる。
人肌に温めておいた卵液を注ぎ、さらに混ぜる。
分離しようものなら力ずくでまた一つにまとめる。
イヤよイヤよも、スキのうち。
いつしか生地は、先輩のような艶やかでなめらかな様相になっていく。
オーブンシートにスプーンで生地をまあるく落とし、お湯につけた指先でそっと形を整えた。
あとは、カスタードクリームを作りながら膨らむことを祈るだけ。

同僚とランチをした後、一人でカフェスペースに寄った。
いつも約束はしていないが、決まって先輩に会うことができる。
早起きをしてクリームを詰めたシュークリームが潰れないように、紙袋を両手で持って、いつもの窓際の席に駆け寄った。
「それは?」
先輩の前に座り、紙袋からそーっと箱を取り出して、二人の間に置く。
オルゴールが聞こえてきそうな蓋をそっと開けると、TheRoseの音色の代わりに甘い香りが舞った。
洒落たグレーの皿の上ではなく、レースペーパーでもない紙ナプキンで包まれた、パリッとした皮は丸見えのシュークリーム。
「好きって言われてたので・・・作っちゃいました!」
いつもの曇天だが、箱にそっと添えられた先輩の左手薬指のダイヤモンドは輝いている。
「ありがとう!」
もうすぐ夫となる人が待つ都心に行かれる先輩のにっこりと笑う口元には、今日もサーモンピンクのルージュが引かれていた。

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