見出し画像

雑炊と片時雨【短編小説】1800文字

「これでいっか」
ユウキは冷凍庫からラップに包まれてカチコチになったごはんのかたまりを2つ取り出した。貼られた付箋には『押し麦入り』と書いてある。
電子レンジに入れ、少し迷って3分にセットし、あたためボタンを押した。
「あとなんだっけ。卵は・・・あるな。緑色のもの・・・ほうれん草?ないよりはいっか」

昨夜は久しぶりに飲んだ。
ユウキはオーディションに合格するまで禁酒を決めていたのだが、ここに来るまでに蒲鉾屋の店先に赤巻と昆布巻、その隣の酒屋に銀嶺立山のポスターが貼ってあり、どちらも避けられなかった。
早めにゲストハウスに着き、オーナーにお願いして酒は特別に冷凍庫に入れさせてもらった。
戻ってくる頃にはいい感じになっていることを期待し、ユウキは出かけた。

「あ!これ使っていいんかなぁ」
調味料や乾物が仕舞われている引き出しから、『鶏だしうま塩』と書かれた鍋の素を見つけた。
「あ!この鍋いい感じー」
棚から雪平鍋を取り出して、適当に水を入れ、火にかけた。
ピピッ、ピピッと電子レンジがユウキを呼ぶ。ごはんはまだ所々が冷たく、もう一度3分あたためることにした。
「あれ、切っとこ」
ユウキは小松菜ほうれん草をさっと水洗いし、恐る恐る包丁で切り始めた。
茎の部分は細かく、葉の部分は長く、切りあがった。

宿泊先をここに決めたのは、先輩に『この地方に行くなら!』と勧められたからだ。
周りに飯屋とかはなく、基本は自炊で素泊まりだが安い。
あと、いい噂があるのだと。
ユウキはここにコスプレイベントの手伝いで来ている。
声優の養成所を卒業後、プロダクションに所属はしているがオーディションに合格できない。
そのため、バイトの他にプロダクションが関係するイベントの手伝いで生計を立てている。
オーディションではほぼ毎回言われる。
四谷よつやくんはさ、ビジュアルはいいんだけどね。歌・・・だよね』
ユウキは歌唱力が致命的なのだ。養成所の時も講師には散々言われた。ビジュアルに伴っていないところが残念だと。
結局、選ばれなかったアニメの役は、よく知られている声優がCVとなっていることが多い。
勧めてくれた先輩は、もうプロダクションにいない。

ぷくぷくと沸騰し始めた鍋に温まったごはんを入れ、スプーンでかたまりをほぐしていく。
「ちょっと入れてみるかなー」
『鶏だしうま塩』のキューブをちゃぽんと鍋に投げ入れると、じんわりとキューブの周りから白いごはんに色が迫っていった。

市街地でのイベントが終わり、ユウキは買っておいたつまみと酒を楽しみにゲストハウスに戻ると、ちょうどずぶ濡れになったオーナーと一緒になった。
軒先は濡れていないため、オーナーの出かけた先だけ降っていたのだろう。
冷凍庫から酒を取り出し、オーナーにお礼をしようと思って、スタッフルームを訪ねた。
みぞれ酒1杯でここの噂について聞いてみたいと思ったのだが、生憎のところオーナーは震えており、みぞれ酒より熱燗がよさそうだった。
部屋の窓から差し込む月明りで飲む酒は、これまでの自分への情けと諦めを促す味がした。

もう他の客が一日の活動を開始している頃、ユウキはやっと起き、リビングでテレビを見ながら買っておいたクラッカーをかじっていた。
ふと、玄関先の受付カウンターを見るとオーナーが突っ伏している。
「え、ちょっと、大丈夫ですか?」
やはり風邪の引き始めのようで、今朝はまだ何も食べていないらしい。
ユウキはキッチンに向かった。

ごはん全体が軽く色づき、ぶくぶくと鍋からこぼれ出しそうである。
ユウキは怖くなって一度火を止めた。
ティースプーンで軽くすくい、口に入れた。
「んー、ちょっと濃いかぁ。まぁ、卵入れるし・・・いっか」
小松菜を入れ、今度は火を小さくした。
箸で少しかき混ぜ、溶きほぐしておいた卵を全体に帯のように流し入れて、少し火を大きくしてみた。
溶きほぐれなかった透明な白身が白く固まり始めた頃、またティースプーンで軽く、口にする。
「お、いいね。そうだ、あれ入れてみよ」
ユウキは残っていた赤巻を刻んで、上からぱらぱらと散らしてみた。
黄色と緑色の穏やかさに赤色の元気が加わって、優しい匂いが漂っていた。

リビングから玄関先を覗いて声をかけた。
「あのー、作りすぎちゃって。一緒にどうですか?」
鼻をすするオーナーと目が合った。
「ちょっと昨日飲みすぎちゃって。雑炊です」
リビングのテーブルでは赤いチェックのミトンの上で雪平鍋が待っている。
茶碗と木製のスプーンも2組、置いてある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?