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【小説の作り方】結局、それはプロットを作っているということだった

 僕にとってプロット作りは鬼門である。
 手前味噌だが、アイデアは割と潤沢に出てくる方だと思う。近所を30分ほど散歩していれば「あれはネタの素になるな」というものが二つ三つは見つかる。
 だが問題はそれからだ。

 小説を書く人はプロッターとパンツァーという言葉は聞いたことがあるだろう。前者はプロットを建ててから執筆を始める人、後者は事前準備なしのぶっつけで書き始める人を指す。
 僕は両者の中間ぐらいでいるのがちょうどいいんじゃないかと思っている。凝り性にとってプロット作りはキリのない遊びになってしまうのだ。

 とはいえぶっつけで書くと瞑想するのも確かで、それはそれで困る。
 試行錯誤を繰り返しているうちに気づいたのは、小説を書くのも、絵を描くのも、日用大工も大した違いはないんじゃないかという仮説だった。

 画家の友達のアトリエを訪問した時、ちょうどその日から描き始めるタイミングで、絵画のスタート地点を見せてもらったことがある。
 下塗りを終えたキャンバスになんだかよくわからない線を雑に描き始めた友人に「これは最後に何になるのか?」と訪ねた。彼の答えは「最後には背景の建物になる予定」だった。

 いちばん最初から細密に描かれる絵などない。
 最初の一筆はおおよその構想の元、おおよその見当で描かれるものだ。
 それを思い出して、僕はこのところ最初に数行の骨子だけを書き出し、比喩や修飾も書いたり描かなかったり、会話も口調など揃えずにとにかくざっくり書き上げてしまうことにしている。

 骨格を作って肉付けするというのとも違う、ラフスケッチのような感覚とでもいうのだろうか。ディテールは一切気にせずに、とにかくスピードとパワーでまずは押し切ってしまう。
 当然、振り返って見ると穴だらけ、矛盾だらけの「画伯」的な文章の塊が一つ転がっているのを目にすることになるのだが、それでも象がイルカになっていることはなく、アリクイかカバに見える程度の範囲におさまっているものだ。
 そのカバにも似た「画伯」的な文章の塊をなんと呼ぶかと考えると、これはもうプロットのとある形態としか言いようがない。

 その「亜プロット」に足りないところを加え、余分なところを削ぎ、矛盾を潰し、整合を取り、形を整えていく。
 木像を作るときに最初は鉈と鋸でおおよその外形を切り出し、やがて鑿に持ち替え、最後はヤスリで滑らかに整えていくような手順にしたら、それまで途中で手が止まっていたあたりをスッと越えられるようになった。

 キーボードを使って書いてしまうと、目に入る時点ですでに整然とした形になってしまうのは弊害の際たるものだと思うけれど、意識を一捻りすればまだどうにかなるもの。
 何より最初から完成形で頭から出てくるなんて、そんな才能があれば、小説を書くことで悩むはずなどない。

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