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指を痛めて気づいたことなど

怪我からまる1日が経過して、親指は突き指したときと同じような状態になった。
第一関節を曲げることはできないが、親指が開く方向 —— ハサミを開くような動きをしなければ痛みはない。

身体のどこにしても同じことが言えるのだけど、怪我をして初めて身体の一部分が使えない不自由さを実感する。
いかに普段想像力を働かせていないかが良くわかる。

普段は無意識にやっていることがいきなりできなくなると、恐ろしく不便だ。
ドアノブをひねるにしても、ペットボトルのキャップを外すにしても、いまは指が痛んで、できればやりたくない。それでもキャップもドアを開けなければならないから、痛みを感じないように工夫をしている。
握ってひねる動きをしないように、脇に挟んで左手でキャップをあけたり、ドアノブもガバッと鷲掴みして、親指に負荷を書けずに4本の指でひねったり。
一つできるたびに「こうすればいいんだ」と小さな発見をした気分になっている。でも、それもいずれ痛みが引いてしまえばきっと忘れてしまうんだろう。

身体障害を持つパラリンピアンたちはどれだけの工夫を重ねてきたんだろうかと、彼らのすごさを気付かされた。
彼らの障害は「いずれ治るもの」ではなく、「ずっと続くもの」。
健常者が何も考えずにこなす様々なことを工夫と慣れでこなすようになっただけでもすごいのに、さらにその上に競技まで加わっているのだ。日々の生活の中で彼らがこなしてきた創意工夫は尋常な数ではないだろう。

そんなことであっても、自分の身に起こらなければ気がつかなかったのはかなりショックだ。普段から想像力がどうこうと言ってるくせにこのザマなのである。もっといろんなことに目を向けて、もっと広く物事を考えないとダメなのだなあ。
でもこうした反省すら、痛みが引いたら忘れてしまうんだろうなあ、やっぱり。

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