見出し画像

エッセイはこうやって書くと面白くなる(非推奨)

 noteでは小説の類をアップする気がないので、自然と日記や雑文ばかりが溜まっていくことになる。
 目的が文章を書く習慣を保持することと、小説を書く際に役立ちそうな手法を試してみることにあるものだから、最終的に公開された雑文の中身はどうでも良いとも言える。

 とはいえ自分の書いた文章を他人様の目に晒すのであるから、支離滅裂なことを書くわけにもいかないし、読みやすさもある程度は意識しなければならない。
 自分の価値観を押し付けるようなウザったい中身だったり、批評家連が好んで書きそうな迷路をさまよっているような難解な文章は書きたくない。「ウケた/スベった」というような芸人的尺度ではないが、たとえ何かの間違いで読まれてしまった人にも、いくらかの面白みは感じられるようなものじゃないと迷惑だよなあと思うのだ。

 書店や図書館に行くと結構な量の「エッセイの書き方」的な本がある。
 書架に並ぶ本の数からも、エッセイを書くことへのニーズがあるのは一目瞭然だ。
 「随筆」なのだから、筆に任せて思うがままを書けばそれで良いんじゃないかと思うのだけれど、人間の欲というか、書く人間のサガというか、承認欲求はそれなりに高いんだろう。結構なタイトル数が結構な頻度で出版されている。

 小説の書き方についての書籍を読むのはもはや僕の趣味の一つにまでなっているが、エッセイの書き方、文章の書き方についての本はこれまでほとんど読んだことがない。
 もちろん「そんなもの読まなくたって俺みたいな天才は書けるのさ」と言いたいわけでもなくて、日記がわりに1日1つの話題に限定して雑文を書いているうちにメソッドが勝手に出来上がってしまった感じだ。おかげでネタには困らないし(なんでも書ける)、ほぼすべてが「書いて出し」で済んでいる。いかにも横着者の僕ならでは、である。

 門外不出の秘伝のレシピでもなければ、一子相伝の奥義でもないので、平気で明かしてしまうが、僕はエッセイを書くことは、プロ野球選手のバッティング練習と似たようなものじゃないかと思って書いている。

「バッティング練習? なんじゃそりゃ?」とフツーは思うだろう。僕も何かに似てるなと思いつつ、それがバッティング練習だと気づいた時には自分で「なんじゃそりゃ」と呟いてしまった。
 だが妙に似てるのだ。特にとっかかりは。

 まず何球かバントをする。
 バットに当てることよりも近いところにボールを落とすのが目的だ。
 例えばトンカツのことから書き始めるなら、「どこそこの名店が」とか「油はやはりごま油よりラードだ」といった本格的なところからスタートするんじゃなくて、「夕飯のおかずに自宅で上げたトンカツが並ぶと、嬉しさ半分、悲しさ半分になる」といった足元から書き始める。

 バントの次はミート中心のセンター返し(トンカツだから肉というわけではない)。
「サラダ油で揚げた自宅のトンカツと、ラードで揚げた店のトンカツは同じ素材と同じ手順で作られていても、何かが決定的に違う」みたいに半歩か一歩踏み込む。
 ここで重要なのはバント練習同様に芯を食うこと。基本に忠実なセンター返しだから、確実に堅実に、傍目からはくだらないことを大真面目に書いていやがるなと錯覚させるように。

 さてその次が肝だ。
 次はバント練習とセンター返しを完全に無視して、好き勝手に飛躍させる。流し打ちなんてレベルじゃなくて、火星に打ち込むぐらいの勢いで飛躍させる。
 トンカツの話で言うなら、トンカツから離れて「似ているということは違うということなのだ」というぐらいに飛躍させる。どれだけ飛躍していても面白ければいい。

 最初から似て非なる物について書こうと思って書き始めるわけじゃない。
 その瞬間に思いついたいろんなことの中で、いちばんか細く結びついているもの、いちばん飛距離のあるものを書く。「ははあ、なるほどそういうことね」となんとなくわかってくれると期待して(半分ぐらいは「わかるやつだけわかりゃイイ」と開き直ってもいる)。

 最後は打球の行方を目で追って、自分の感想を書けば終了。
 論文じゃないんだから結論なんて書く必要はないし(書いたって構わないけど)、書きっぱなしの放りっぱなしで全然OKだ。
 「世界を変えてやるぜ」というような意気込みでもあるなら別だが、大抵は結論などなくても事足りる。
 「人類で初めて火星でトンカツを揚げる人間はどんなやつなんだろう?」でも、「店と自宅で似て非なる刺身があったら嫌だ」でも、「誰それさんと似てる〜ってのは全然褒めてることにならないらしい」でも構わない。
 最後に何かが書かれてりゃそれで良いのだ。

 というようなふざけた心構えと態度で日々雑文を書き連ねてるわけですが、不思議とこれまで文句を言われたことはない。
 みんな怒る気も起きないほど呆れてるんでしょうね。

ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。