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嫌いな人を忘れるのが無理そうなので作品にでもしてやろうと

私は顔もなにもかもめちゃくちゃ好きだった人が、死ぬほど遊び人だったことを、酷い別れ方をしたことを、いまだにしんどい出来事として忘れらずにいる。

女の人に色んな酷いことをしてたのに、女の人を悪者にして、色んな人に自分を正当化して、自分を良く見せるのがすごくすごくうまい人。

外面がすごく良くて、みんなに愛されてて、仕事も上手くいってて、いろんな事業をしてて、再生数もフォロワーもどんどん増えてて、この人のファンは、酷い一面を知らずに盲信してるんだなあと思うと、なんだかちょっとだけ、可哀想だなとおもってしまう。

どこかでファンの女性に酷いことをして、あれあれだかそれそれだかに暴露されちゃえばいいのに。

でもきっと、何かで暴露されても、
うまいこと丸め込んで自分は悪くないってことにしてしまうだろうから、きっとやらかさない。あのひとは賢いから。

嫌いな人を忘れる方法として、自分が目一杯幸せになることだと、いろんな人が口にする。

私もその前向きでキラキラした言葉に同調した。
そうだろうなと思ってたくさん努力したけど、ことあるごとにその人の記憶や、酷い言葉がフラッシュバックしてしまって、

ねえ、それって本当にそうかな?って。

目一杯幸せになることで忘れることができるなら、私はとうの昔に忘れられてると思う。
この世は、そういう正攻法で忘れられる人ばっかりなの?

今はもう好きでもなんでもない。
ただひたすら、あのひとがボロを出して騒がれる日を夢見てる。

でも、そんなことをしている時間も、最近は勿体無いなとも思うんです。

ある日思いました。
この行き場のない怒りや苦しみが、いつまでも消えていかないなら、私の中でこの葛藤を作品にして仕舞えばいいんじゃないか、と。

その昇華した憎しみを誰かに同調してもらえたら、もしかしたら、
もしかしたらこの曇り続けている胸が一瞬でも、晴れるのじゃないかなと。

シナリオの本を買いました。
書き方を学んでいます。

誰がなんと言おうとも、この感情を昇華させることができるのは私だけ。



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