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●21世紀の女の子

このnoteは現在販売中のZINEに掲載した文章です。詳しくはこちらをご覧ください。(一部違うところもあります)

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今回「はたちのわたし」を作りたいと思った時に、映画「21世紀の女の子」の話は絶対に書きたいと思った。でもいざ書こうとなると、何を書いたらいいのかわからない。「この映画面白いんだよ」「おすすめ!」というのとは少し違う。

2018年の年末から2019年の9月にかけて計7回映画館で「21世紀の女の子」を観て、上映なしの関連イベントに2回参加した。神木くんファンのわたしでさえ「君の名は。」は3回しか見なかったのに……。7回も観たのは「映画を観たい」というのもあったけれど、トークショー目当てだった。7回全て監督やキャストの登壇あり。前売り券を買ったものの、あまりにも舞台挨拶が多いから結局使えなかった。

わたしはそこまで取り憑かれた理由を伝えたいのかな。たぶん。

何をどう話したらいいのかわからないからとりあえず映画の概要から話そうと思います。

---------------------------------------------------------------------------全編に共通した“自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること”を、15人の監督が8分以内の短編で表現するオムニバス作品。
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ここから先はもちろんネタバレはしないけれど、まだ見たことがない人はできれば映画を見て欲しい。その上で読んでくれると伝わりやすいと思うし、私が映画を観た感想に引っ張られたまま映画を観て欲しくないから。アマプラでも見れるよ(5/28現在)。でも、なぁなぁで見ないでね。きっちり体制を整えてまっすぐ見て欲しい。

1回目に見終わった時の感想は「なんかすごいものを見た気がする」「めっちゃ疲れた」。その日はこうツイートしていた。

21世紀の女の子好きなやつメモ
杏奈ちゃんの 君のシーツ モトーラさん 橋本愛さんの(これどタイプ)最後の山戸さんの

全体の時間としては112分と他の映画と変わらないけれど、15個の作品があるから15個の映画を見た分の体力を消費している感覚だった。そして「この作品好きだな〜」「これはちょっとわからなかったかな」「めっちゃ好き」と個々に対して感想を持っていた。

2回目を見に行く前に東京国際映画祭(以下、TIFF)での監督たちの舞台挨拶がYouTubeに公式でアップされていたものを見た。確かほとんど全ての監督が登壇していたと思う。(今確認したけれど見つけられなかったから削除されたのかな…?)ここでの監督たちの言葉が、この後私が何度も舞台挨拶に足を運んだ理由な気がする。TIFFでの挨拶に限らずそれ以降の舞台挨拶などでの監督たちの言葉は心を惹かれるものがあった。”自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間”について監督一人一人が考えていること、感じていること、があまりにも真剣でカタチを持っていた。その考えを脚本に落とし8分間の映画として作品にしているのはカッコよかった。あるいは考えではなく、その感情を作品として発表しているのは憧れがあった。

この21世紀の女の子は”21世紀の女の子の、女の子による、女の子のための”映画だ。いま映画館で流される映画の10本のうち1本が女性の監督によるものであり、この先の女の子たちによって生み出される映画を願ってつくられたものである。女性の社会進出が進み始めた日本で、映画を撮る女性が少ないのは映画の現場環境が理由なのか、映画に限らず社会に理由があるのかもしれない。ひとりの監督は映画の現場に保育部をつくりたいと言っていた。ただ苦しんでいるのは”女の子”だけではなくて、”男の子”も苦しんでいるし”世代”や”国籍”や色々な理由で苦しんでいる人がいると思う。結局は人は皆他人である、に終着するかもしれない。他人だから誤解が生まれたり分かり合えなかったりする。人はみんな生きていて、人との関わりの中で傷ついて苦しんでいる。その中でこの映画は21世紀の女の子に向けられた作品だった。だから、思った。映画を見終わったあと「ちょっとようわかんなかったな」と言って映画館を後にしていた人がいたけれど、そうゆう人がいるのは当たり前だ。その人は女の子として苦しんでいなかっただけだ。私や、私と同じようにこの作品に救われた人がいるのは事実。涙を流した女の子たちがたくさんいた。

監督たちのインタビュー記事や、Twitterやインスタでのコメント、舞台挨拶を聞いていると、映画の見え方が変わってきた。初めはこれとこれとこれが好き、と思っていたものが刺さり具合は違うものの全て心に残るものがある。15の作品を連続で観ているとそれは8分間の作品一つ一つではありながらも、”自分自身のセクシャリティあるいはジェンダー”に向き合って映画を撮った女の子たちの集合であり、14作品目では自由で幸せな未来を願って、第七芸術である映画の可能性を、そして何よりもこれから映画を撮る女の子を願った山戸さんの作品であり、15作品目エンドロールとして玉川桜さんの絵と共に「少女のままで死ぬ」と歌われる曲を聴きながらこの映画をつくった女の子や男の子たちの名前を眺めながらぼんやりとするのはもの凄い体験だった。

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舞台挨拶や挨拶後のサイン会には女の子も男の子もたくさんいた。その中には泣きながら監督と話す映画を撮りたい女の子たちがたくさんいた。わたしはうらやましかった。映画館でかかる映画のうち、半分が映画の女の子たちの手によって生まれたものになるように願っているこの映画を、これから映画を生み出す彼女たちが観たことがうらやましかった。彼女たちがこれから進んで行く世界には山戸さんがいるのだ。とても心強いじゃないか。「21世紀の女の子」を生み出した人々がいる世界があるのがうらやましかった。

うらやましさと不安でずっと泣いていた。わたしは違う。わたしが進みたい道には光がさしてない。圧倒的男性社会。根付く悪しき習慣。苦しい。山戸さんに話しているうちに私は泣いていた。わからないけれど、いまは私がどんな道に進むかわからないけれど、私は私のために生きていいんだと思った。私が進んでいく道の中で私は山戸さんのような存在になれるのだろうか。漠然と抱えていた、抱えていることさえも気づかなかったかもしれない、不安やモヤモヤしたものを21世紀の女の子は救ってくれた。21世紀の女の子であるわたしがこの映画に出会えたことが本当に、とっても嬉しい。この映画を観ていた時期も、観終わった後も、今でもその存在は大きい。しばらくは私の人生の中で支えとなる映画だ。

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