見出し画像

夜露死苦

先日、ドレスコードの話を書いていて思い出したことがある。それを書いていなかったら思い出しもしなかったに違いない。
1980年代に青春を過ごした、いわゆるX世代でないとわからない昭和の話(若い人が読んでくれていたら申し訳ない)。

80年代初頭の時代背景といえば、多くの中学校で校内暴力が吹き荒れ社会問題になっていた。
時代を反映したテレビドラマが次々と放送され、「3年B組金八先生」がはじまったのもこのころ。
トシちゃん、ヨッちゃん、マッチの「たのきんトリオ」や、いまや「先生」と呼ばれる三原じゅん子さんが「顔はヤバイよ。ボディやんな、ボディを」という名セリフを言っていたのが第1シリーズで、ぼくらは再放送組にあたる。

ぼくたちがリアルタイムで観ていたのは、加藤優の名セリフ「俺は腐ったミカンなんかじゃねぇ」の第2シリーズで、放送室に立てこもった加藤らが、駆けつけた警官隊に取り押さえられ連行されるシーンと、そこで流れる中島みゆきさんの「世情」という神演出に涙せずにはいられなかった。

そして、俳優だった穂積隆信さんの体験をもとに書かれた実話「積み木くずし」が大ベストセラーとなり、ドラマや映画化される。
その後も「スクール・ウォーズ」、「ビー・バップ・ハイスクール」、「スケバン刑事」と、ヒットしたこれらはいずれも不良少年少女をモチーフとしたもので時代を映し出す作品だった。
映画やドラマ以外にも、いまなら「かわいい」でなく「かわいそう」とSNSで糾弾されそうな「なめ猫」なんてものまで流行したのもこのころ。

ところで、いまでも不良少年のことを「ツッパリ」って、力士の技みたいに呼ぶのかな。
さすがに死語な気がするけれど、あのころは「ヤンキー」と呼んでいる人はいなかった気がする。

ぼくが「赤いスイートピー」にキュンとしていたころ、そんなツッパリの子たちは決まって横浜銀蝿のレコードを擦り切れるほど聴いていた。
けれど、そこはやはり13、14歳の男子。当然だけれど、そんな彼らはアイドルの歌も聴いていた。
歌番組があった翌日などはその話題が中心だった気がするけれど、いつもぼくは気になっていたことがある。
それがアイドルなど芸能人の呼び方、敬称についてだった。

アイドルが偶像なのであれば「様」が一番しっくりくる気がするけれど、当時はそこまで考えていたわけでもない。ぼくらが友人と話題にするときには「さん」は付けず、「松田聖子が」「中森明菜が」と呼び捨てだった。
ちなみに小泉今日子さんは「キョンキョン」だったけれど。 

一方で、横浜銀蝿系の同級生たちがアイドルのこと口にするときは決まって「聖子」「明菜」と名前の方を呼び捨てにした。これがどうにもぼくには耳心地の悪さを感じて仕方なかった。
その理由があるとすれば、身近な人でもないのに、自分の彼女でもないのに、馴れ馴れしい、といった気恥ずかしさが他人事ながらあったのだと思う。

そういえば、そんな彼らはノートや校舎の壁、トイレのドアなどいろんなところに「夜露死苦」や「愛羅武勇」など当て字をよく書いていた。
昭和の不良少年たちは特定の漢字に強そうで、よくこんな難しい漢字を書けるなぁといたく感心したものだった。

中学生時代、さして印象に残る出来事もなかったけれど、まだインターネットもない時代、ぼくらの世界はやはり狭かったと思う。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?