西山 逸成(Itsunari Nishiyama)

ル・プチメック ファウンダー 2019年6月までル・プチメックというパン屋さんと、20…

西山 逸成(Itsunari Nishiyama)

ル・プチメック ファウンダー 2019年6月までル・プチメックというパン屋さんと、2020年6月までレフェクトワールというベーカリーカフェをやっていました。 現在は、リタイアした何者でもない人

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最近の記事

授人以魚 不如授人以漁

このタイトル、読める人いますか? ぼくは、読めません。 話を進めます。 どれほど才能があっても独りでできることには限界がある。だからモノづくりにおいては、1人(や2人)でやる以上事業としてスケールすることはまずないとぼくは考える。 無論、善し悪しといった話ではない。 もしそれを目指すのであれば自分以外の手が必要不可欠なのだけれど、そのとき同時に必要となるのが「再現性」だと思っている。これを平易にいえば「仕組み」のことになる。 昔、パンの卸しでお付き合いのあったイタリア

    • 天才とマネジメント

      先に述べたように天才は感覚的に「できてしまう」ので、それを他人に引き継いだり委ねるといったことが基本的にできない。 つまりそれは「再現性がない」ということになる。 世の中にある大抵の仕事は、それができないと売上を大きく伸ばしたり会社を拡大させることも困難になる。無論、拡大させることがすべてでもなければ正しいというわけでもない。自分の目の届く範囲で、納得するものをできる範囲で、といった考え方もあるし、それは人それぞれの価値観による。 ぼく自身、もしお店なり事業を今から始めると

      • 天才の盲点

        天才や才能という響きには、やはり惹かれるものがある。 ここまでに述べてきたように陰の側面もあるのだけれど、それも込みでその言葉には、なんとも陶然とさせる不思議な魅力がある。それは稀代の才能を有する選ばれしもの、という自分にはないものへの憧れに他ならない。 つまり端的にいってしまえば、理屈抜きにカッコいいのである。 やはり人は自分にないものを持つ人、それを備えた人に惹かれるものなんだなぁ。 ここまで天才や才能ある人のことを述べてきたけれど、この話題の最後にそんな天才やそ

        • 葉桜の季節に君を想うということ 後編

          ちょうど20年前のいま頃、鷺沢萠さんの訃報をテレビのニュースで知った。 自分の耳を疑い、緊張で身体は強ばり、いたく狼狽えた。 当初の報道では心不全との発表だったけれど、ほどなくしてそれが自死だったとわかると、ぼくは脳が停止したような気がした。胸は詰まり、膝から崩れ落ちるとはこのことだった。 遺書はなかったらしい。 当時、本業である執筆業はもちろんのこと、舞台演出まで手がけられ仕事に精力的だった。亡くなる1ヶ月前には、ぼくの好きな1冊「ウェルカム・ホーム!」を、さらにその1

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        • 本とか本屋さん(仮)
          7本
        • パン屋さんをして経営を想う
          65本
        • 日々是好日
          100本
        • お店の話とか(仮)
          31本
        • 食べものの話とか(仮)
          47本
        • 映画とかドラマとか(仮)
          15本

        記事

          葉桜の季節に君を想うということ 中編

          鷺沢萠さんは、美人女子大生作家との触れ込みで華々しく文壇デビューを飾った。上智大学外国語学部に現役合格という才色兼備で東京都世田谷区の出身、それもかなり裕福な家庭で生まれ育ったらしい。 上智大学へ入学して間もなく文學界新人賞を最年少で受賞(当時)し、その後も「少年たちの終わらない夜」「駆ける少年」「海の鳥・空の魚」「スタイリッシュ・キッズ」「葉桜の日」と毎年のように上梓され、芥川賞候補作には4度、三島由紀夫賞候補作にも2度選ばれ、「駆ける少年」では泉鏡花文学賞を受賞されてい

          葉桜の季節に君を想うということ 中編

          葉桜の季節に君を想うということ 前編

          タイトルは、歌野昌午さんの叙述トリックを駆使したミステリー作品から拝借している。こういった好きな作品のことも述べてみたいと思うのだけれど、今回は別の作家さんの話になる。 思えば10代の頃、ぼくは超絶にアホだった。 この字面だと、まるで「いや、今ではそうでもないんですよ」とでも言いたげで、読んでいる人に錯覚を与えようとしているみたいだけれど、昔は今より更にアホだったというだけに過ぎない。 当時、何を語るにも語彙が貧困だなぁと自覚のあったぼくは、10代も終盤になってとにかく

          葉桜の季節に君を想うということ 前編

          知的好奇心や認知的欲求も怪物なのかも知れない

          昔から天才や才能に溢れた人を想起する際、自死によって早逝したイメージがついてまわる人も多いのではないかと思う。 パッと思いつくだけでもゴッホ、太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫、川端康成、カート・コバーン、アーロン・シュワルツ、桂枝雀など(敬称は省略させてもらいました)、古今東西を問わず多くの天才たちが自死を選んでいる。 また若くして亡くなった海外のミュージシャンの中には、事故ではあるけれど自死とも思えるような薬物依存症や過剰摂取によるものもある。 無論、それぞれ時代背景もあ

          知的好奇心や認知的欲求も怪物なのかも知れない

          退屈なヒットチャートにドロップキック

          もうしばし、凡人による天才の考察を。 ここでは便宜上、天才的、天才肌、天才気質などすべて天才と述べることにする。 天才と呼ばれる人を目にするとき、ぼくは羨望の眼差しを向けている。それは間違いなく、自分とは縁のない傑出した才能に対する憧れである。 また「天才」という言葉からは、天賦の、唯一無二の、といった甘美な響きも漂っているものだから、ますます魅かれる。 けれど、そういった華々しいイメージがある一方、孤独、孤高、絶望、儚さ、破滅といった影のイメージを併せ持つのも「天才」だ。

          退屈なヒットチャートにドロップキック

          多作は才能に勝る

          知人に、とても多才な人がいる。ジャンルに捉われず、次から次へと新しいものを考えては生み出し形にされている。 昔、そんな彼と食事をした際に尋ねてみたことがあった。 どうして、そんなに次から次へと新しいことをされるんですか? 才能に勝つためには多作。多作こそ成功への道。 うろ覚えだけれど、そんな返答だった記憶がある。そしてそれが唯一、彼が師と仰ぐ人の言葉であり教えだったと話してくれた。 そのときには、そういうものなのか、程度の感想だったけれど今ではなるほど、と思えるようになっ

          凡人による天才の考察

          これは職種問わず、また仕事以外に趣味の世界などでも多くの人が一度や二度は耳にされたことがあるだろうし、身近な人の中にもこう呼ばれる人が1人くらいおられるかもしれない。 〇〇の天才 あるいは、天才〇〇とか。 例えば天才シェフとか。 また、〇〇の天才ほど多くはなさそうだけれど、同じようなものに〇〇の神様というのもあるな。そしてこれらは、テレビをはじめとかくメディアが好きそうな言葉でもある。 天才料理人、天才パティシエ、天才ブーランジェ、天才バリスタ、天才野球選手、天才サッカ

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          お洒落じゃなければレジェンドでもない自分とクリエイター的なもの

          先日、パン屋さん時代に大変お世話になった清水美穂子さんとお会いした。そのときと、その後のやり取りの中でこんな話題になった。 いつから「オシャレ(と言う言葉)」を使うのが恥ずかしい空気になったのか。という切り口から始まりSNS論になったところで、ぼくが「そろそろnoteで書こうと思っていたタイトルが『さよなら Instagram(SNS)』なんですよ」と、話が盛り上がった。 SNSについては以前にも書いているんだけれど、今回の本題ではないので少しだけ触れて、また別の機会に述

          お洒落じゃなければレジェンドでもない自分とクリエイター的なもの

          コンプレックスの正体

          ぼくは中学生のころからなんとなく、地方コンプレックスのようなものが漠然とあった。それが大きな都市にある娯楽に対してなのか、地下鉄や電車など充実したインフラに対するものなのか、ずっと判然とせずにいたけれどそれが何なのか、わかった気がする。 ぼくが大都市に対し憧れ、羨んでいたのは、きっと情報だったのだと思う。 都市に暮らす人たちは、物心ついたころから流行や話題のモノはもちろんのこと、いろんなものが当たり前のようにすぐ傍にあった。それは物質的なものだけでなく、音楽やアートといっ

          コンプレックスの正体

          見ているけれど、見えていない

          毎日のように通り慣れた道や見慣れた風景のはずなのに、ふと違和感を覚えることがある。 つい先日まで立体的な印象だった角地が突然、更地やキレイな駐車場になっていたり、真新しいコンビニが突如現れたり。 ここ数年、そんなことが多くなった気がする。 団塊の世代がリタイアされはじめたことや少子化、相続税問題など諸々の事情が表面化してきているんだろうなぁと、なんとなく思ったりするのだけれど、その前にもう一つ、ぼくの頭を過ぎることがある。 あれ、ここって以前、何が建っていたっけ?

          見ているけれど、見えていない

          井の中の蛙、大海に出て「無知の知」を自覚する

          ぼくは小さな街で生まれ育ったので京都市へ出てきたとき、うわっ、めっちゃ都会に出てきてしもうた、と緊張したものだった。 京都市の繁華街である河原町を初めて歩いたときなどは、キョロキョロしていたら田舎者だとバレてしまうんじゃないか、というアホな自意識からまっすぐ正面だけを見て歩き、よく迷子になったものだった。 その後、大阪はもちろん、名古屋や福岡へ遊びに行ってもその街の大きさに打ちひしがれた。そして書くまでもないけれど、その最たる場所が東京になる。 東京は人口が圧倒的に多く分母

          井の中の蛙、大海に出て「無知の知」を自覚する

          それは機会損失だと思う

          ぼくに郷土愛や土地への執着心が欠落していることは先に述べた通り。 これは共感を得られることもほぼないと思うし、感情的にも決して褒められる類いのものでないこともぼく自身わかっている。 どこの出身であれ地元愛や郷土愛に溢れている人の方が圧倒的に多く、そういった話の方が共感を得やすいとも思う。なんなら関西人意識が希薄なぼくなんて、これが江戸時代なら関西人の風上にもおけない不届き者として、市中引き回しの刑で関西中を引き回され連行されるんじゃないかとさえ思う。 でも誤解ないよう先に述

          それは機会損失だと思う

          関西人とオチ

          ぼくは京都府の北部ではあるけれど一応、関西人としてこの世に生を受けた。 子どものころからテレビをつけるとお笑い番組も多かったと思うし、そこには関西ローカルの番組でしか見ることのない芸人さんやタレントさんも多かった。 ちなみに中学生のころ、一番好きな芸人さんは越前屋俵太さんだった。 ぼくらが小学生だったころ、ちょっとした面白い子やお調子者の子がいると「そんなことばかり言うてたら吉本に入れるぞ」とか、「将来は吉本に行け」と決まり文句のように先生や周りの大人たちは言っていた。関西