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難しかったり、嬉しかったり、妙な気分だったり

平川組、森下組の作品に携われることの嬉しさはあったけれど、当初は困惑することばかりだった。
右も左もわからない完全アウェーな現場には、かなり多くのスタッフさんがおられ、タイトな撮影スケジュールということもあって動く度に周りからのプレッシャーも凄かった。

監修という役割なのでいろんな相談や質問をされるけれど、そこで妙な気遣いや曖昧な答えをすると却って撮影が進まなくなるので、言い切ることを心掛けるようになった。
ところが「リアリティを」と求められ、「さすがにその動きはおかしいです」「それは現実的にはやらないです」といったことを伝えると、今度は「フィクションですから」「ドラマですから」と返ってくることもしばしばあった。

ドラマの制作であってパンを作りにきているわけではないので割り切らないと務まらないことは理解していたし、現場が求められているものを察しようとしたけれど、このリアリティとフィクションとの境界線がぼくにはなかなか判然としなかった。
徐々にそういったこともわかりはじめ、プロデューサーからも「大分慣れてきて、わかってきましたね」と声をかけていただいたときには、最終話目前だった。

大変だったことを挙げるとキリがないけれど、嬉しかったこともある。
演者さんがテストをされた際、「ここで、なにか台詞が欲しい」と監督から脚本にはない台詞を求められることがある。
いくつか提案したものが使われ、中には数日前に店のスタッフへぼくが実際に指示した言葉がそのまま佐藤健さんのセリフになった。

また、一般人のぼくからすれば自宅とスタジオを行き来するのは、日常と非日常、あるいは現実と虚構を行き来しているようなもので不思議な感覚にもなった。
スタジオから帰宅しテレビをつけると、特にCMなどは佐藤健さんと綾瀬はるかさんが交互に出られているのかと思うほど目に止まり、さっきまでこの人たちといたのか、と何とも妙な気分だった。

名古屋でのロケではスタジオと違い控室がないため、普段は工場の方たちが休憩で使用される大きな部屋が関係者の控室として用意された。
早朝から入ったものの、呼ばれるまですることもないぼくは椅子に座りスマホを見ていると「50歳を節目に事務所を独立」という竹野内豊さんのニュースがLINEに流れてきた。
しばらく読んでいると人の気配を感じ、顔を上げると机を挟み向かいに座られたのは竹野内豊さんだった。
マネージャーさんらしき方と話されていたので声はかけなかったけれど、これも日常生活では考えられない状況だな、と妙な気分になりながらぼくはまたスマホへ視線を落とした。


つづく

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