見出し画像

腐らない遺体を目の前にして思ったことは感動や恐怖よりも西洋と東洋の死生観のことだった。

フランスのサンジルダール修道院へ向かったのは小学校だか中学生くらいの時、アンビリーバボーという番組で腐らない遺体のことを知って、気になっていたから。おそらくこの年代から死に対する考えとか恐怖とかそんなものがあり始めて随分と衝撃な話だったのかと思う。不死の水、ルルドの泉(正確には奇跡の治癒力を持つ)。貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、お次の場所を掘ると泉が湧き出し、その水を飲むと病が治る。その泉を掘ったのは腐らない遺体となったベルナデッタ。

画像1

パリから列車で2時間半の場所にあるサンジルダール修道院だが、近くには観光のバス、時間帯によっては人をかき分けなければ見れない時間帯もある。(1日に数回の賛美歌セレモニー見たいのをやっていて、ツアーの人と被らなければ2、3、人ほどにはなるが)

教会内は写真禁止だけど、基本みんなバシャバシャ撮っている。

そんな場所でベルナデッタは静かに眠る。教会全体は暖色使いのステンドグラスで日差しが入り込むと長椅子を実にエモエモしく照らす。教会右奥のベルナデッタの眠る空間は青いステンドグラスになっていて、周りに置かれた百合達に青い光が当たり、なんという幻想的な空間か。

しかし何故かベルナデッタには、葬儀中に感じるような生が死に落ちた不思議な恐怖感はなかった。なんというか、「生きていた」感じはしないのである。

グーグル先生の話によると、ベルナデッタの見えている顔と手には蝋覆われているとのこと。現状はミイラ化が進んでいる、との話。

彼女の顔を見て、ロマンチックな感情よりも、はたまた、ちょっとした恐怖感よりも、キリスト教の生死観、はたまた日本の生死観の方がずっと気になってしまった。世界には色々な埋葬法があるが、日本は現状火葬、キリスト教は基本土葬。神様についても、宗教によって神様は人の形をしていたり、サグダラファミリアでは神様は光だった。神様をどう表すか、建築家は様々な手段を用いる。上を見上げた時に感じる尊み、光の差し込み方、響き渡る音響のあり方。

ところでジブリシリーズを通して見る神々のあり方は面白い。もののけ姫は特に代表的な神様の考えの話で自然が神様という考え方をしている。しかし文明開化により、自然の神様という考えが変わり、神のいる山に国を作ろうとする話だ。自然災害の多い日本は自然を神と考えていた。自然は時に人に恵みをもたらし、時に残酷に人を襲う。だからこそ自然を生きた神として考え、まつったり、供え物をしている。風の国のナウシカは人より自然の力が大きかった話、もののけ姫は文明開化により人が神を殺した話、そして千と千尋は人と神が分離して千尋が神の世界に迷いこんだ話(ハクは川の神様)。もののけ姫では、シシ神様ほど長く生きている神様は体も大きく人の言葉も話せるが、モロは人間の言葉は話せても少し小ぶりで、もっと若いオオカミ二匹は、身体も小さく言葉も喋れない。何百年たったあとのトトロはもはや人の言葉も理解できず、それより小さい中トトロ、小トトロがいる。
人は自然と共にあって、対話もしていたが、今では自然を資材にしか考えていない。神が小さくなった証拠である。

画像2

話がずれてしまったが、ベルナデッタのような不朽体はヨーロッパのあらゆるところであるようだ。実際イタリアの田舎町の教会でも神父様が眠っていた。条件が色々あるようだが、いくつかある条件を満たしていれば彼らは聖人と言われるようになる。腐らない遺体は、永遠の生を与えられていいるように見える、もしくは天国で永遠の幸福でも手に入れたような安らかな眠り。きっとこの事がキーポイントなんだろう。

宗教を批判するわけではない。ただ、少なくともこれほどまで大きくなった宗教には政治的絡みもある。日本はどちらかというとジブリや、天皇という在り方から無宗教という宗教になっているが。ただ、どの世界も客観的に見れば沢山の技術が積み重なっている。

少し面白いと思ったのが、コルビジェの作ったロンシャン教会は自然を空間に閉じ込めることを考えているし、サグダラファミリアの内装は大きな木々の表現からなっているという事。自然を取り入れ神を伝える神秘性は、ほんの少しだけ日本の昔の神のあり方に似ているような気もする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?