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2013年10月11日「雑文あるいは物語」


 世界は滅びていて、僕はその滅びた世界をあてもなくうろつく亡霊だった。行っても行っても廃墟しかなかった。僕は誰かを探してひたすらに世界をうろつきまわっていた。そうしてようやく僕は誰かを見つけたのだった。それは1人の少女だった。

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 世界が終わる日に、大地を見つめている一人の少女。もうその時代には何もない。東京もハバロフスクもフィレンツェも、ニューヨークもパリもロンドンも別府もアゼルバイジャンも雲南もエディンバラもサハラもタクラマカンもサマルカンドもテヘランもリオデジャネイロもマカオもアビニョンも北極も南極もサモア諸島もメルボルンもバタビアもバリもオイミャコンもそのころにはむなしい廃墟になりはてている。朽ち果て、ひびわれた建物の隙間からは菊の花が我が物顔で咲きほこっている。人間がいなくなっても動物たちは結局生存競争を繰り返し、あたりに死骸をまきちらしている。少女は望遠鏡でその光景を見守る。遺伝子操作で知能をもたせた烏と、小型化されたスーパーコンピューターを搭載したカカシだけが彼女の話し相手だった。烏とカカシはいつでも喧嘩している。それを仲裁しながら少女は世界各地の朽ち果てた図書館をめぐりめぐって過去の人間たちとの対話を続けている。彼女にとっては偉人も凡人も等価だった。どれもはるか彼方に過ぎ去った星の光のようなものであった。(彼女というからにはやっぱり少女なんだろう)。時には御伽噺の王子様と絹のベッドの上でセックスする光景を思い浮かべながらオナニーをしたりもする。恥ずかしがることなんてない。だって一人なんだから!


 少女は見渡す限りの大草原を歩いていく。気が遠くなるほど長い時間歩いた後に少女はある滅びた町にたどり着く。かつて城壁だったものに囲まれたかつて町だったもの。少女はかつて門だったものをくぐり、かつて歩道だったものの上を歩き、かつて家だったものを眺めていった。そしてかつてマンションだった建物の前で立ち止まった。少女はその中に入り、そしてある部屋に入る。そこはかつて浴室だった場所だ…水垢どころかカビや虫やねずみの死骸、ありとあらゆるものが折り重なって層をなしていた。彼女は袋を取り出してきてごみをつめ、ブラシで浴槽を洗った。烏もかかしもそれを手伝う。やがて見まごうばかりに浴室は綺麗になる。少女はぜえぜえ息をつきながら蛇口をひねる…しかし水は出てこない。…当然だ。水道会社なんてものが操業しているはずもない。ところどころ配管はさびと腐食でぼろぼろになっている。…彼女は飛び出し、配管をひとつひとつ確認して新しいものと取り替えていく。パイプは工場を操業させて作り出すんだ。そのために彼女はまずロボットを作った。簡単な仕事をするだけのロボット…そのために発電所が必要だ。電信柱がたてなおされ、発電所が復旧され、街に明かりがもう一度灯っていく…


 パイプがなおされ、なおした水道管が獣たちにあらされないようロボットの警備隊がつく。獣たちも何匹が手なずけて警備隊にしたりする…


 浄水場を掃除し、建物を補修し、電線をもう一度ひいて新鮮な水を供給することができるようにする。川の水は人間がいなくなったから昔よりもはるかに綺麗になったはずなのに。こんなことしなくても川から直接水を汲んでくればいいのに…どうして彼女は浄水場にこだわるのだろう…?でも彼女は結局やりきった。最後までやりきったのだ。


 そして蛇口をひねる。浴槽に水がたまっていく。彼女は最初はにこにことしながらそれを見つめているけれどやがて異変に気づく。一定以上に浴槽の水が増えていかないのだ。かかしと一緒に首をひねるが原因がわからない。烏がお前ら馬鹿じゃないのか?と言いながら指摘する。栓が閉められていないことを。少女はあわてて木をけずって栓をしめ、穴に入れ込む。みるみるうちに浴槽の水は増えていく。やがて外にあふれるぐらいにまで水はたまった。もういいだろうと少女は蛇口をひねるけれど、一向に水はとまってくれない。おかしいなといくら首をひねってもとまらない。別にいいじゃないか。ながれっぱなしで。確かにこっちの方が景気がいいね、と少女はうなずいて服を脱ぎだす。やがて水は浴室の外に流れ、部屋の外に流れ、マンションの外へ流れていったが少女たちはおかまいなしだった。烏が先に水に飛び込み、おぼれそうになる。それをかかしがあわやにところで救い上げる。ほっと一安心したところで少女は服を脱ぎだす。何日も洗っていないTシャツ、短パン、しみのついたブラやパンツを脱いで垢だらけの体をあらわにする。陰毛も腋毛も伸びっぱなしだった。彼女はかかしから烏をうけとり、そしてかかしと手をつないで浴槽に身を横たえる…何千年ぶりかの快感を、彼女は、いや…人間は感じた。彼女ははしゃいでかかしや烏に水をかけたりしている。彼女は目いっぱい笑っている。本当に楽しそうだ。本当に…

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 僕は自分が涙を流していることに驚く。「湛えよ」この言葉はあながち間違っていなかったんじゃないか。そんなことを思いながら自分の涙の理由を考えてみる。阿呆と思われるかもしれないけれど、僕は本当に泣いているんだ。彼女が目いっぱい笑っているのを見て、この文章を書きながら僕は声をあげながら泣いているんだ。…本当なんだ。それ以外の何が嘘でもこれだけは本当なんだ!


 世界の崩壊がくしくも始まる。チーズのごとく世界は削り取られていく。笑う彼女たちを取り囲むかのように。それが神なのか物自体なのかヘーゲル的私なのかハイデガー的存在なのか虚無なのか紳士淑女のかばんの中にしれっとおさめられたコンドームなのかということはどうでもいい。とにかくそれはよく研ぎ澄まされた鎌で持って現に世界を切り取っていっている。切り取られた世界はどこへいくのか?それはわからない。しかしとにかく僕の手の届かないところへ行ってしまうのは確かだ!それだけが確かなんだ…


 やがて世界には浴槽だけが残る。彼女はあまりに楽しくて、世界が崩壊寸前だということには気づかない。浴槽からあふれた水は虚無へ流れ込んでいく…もう何もない。彼女と浴槽と烏とカカシと水と、それを覗いている僕以外には何も存在しないんだ。


 僕は高らかに宣言する!これは物語なのだと。僕は何が何でも。殺されても去勢されてもこれだけは高らかに宣言する!これもひとつの物語なのだと!終わる世界の中で、そのことに気づかずにろくでもないコミックソングをうたいつづけるのだとしても、それは物語なのだということを!誰がなんといおうと、僕だけはこれが、これこそが物語りなのだということを言い続けてやる!世界が終わるまで!俺は今物語りをとにもかくにもひとつ生み出したのだと!ああ…歌が聞こえる。何の歌だ。それは…何の歌なんだ…

 今、最後の1ピースが切り取られた。彼女たちはもういない。時空間の襞の中へと取り囲まれてしまった。…ありがとう。僕は軽くつぶやいて。キーボードから手を離す。今、ひとつの物語が終わりを告げたのだ。

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