2013年12月3日の雑文


 ねえあなた、考えてみたことがありますか?人間の皮をはぎ、肉をそいで、さらにその奥の骨を削る光景を?あなたは鉱山夫のごとく固い岩盤をひたすらに掘り進んでいく。その奥に何かがあると信じて。しかしいくら削っても掘っても何かをつかみとることはできず、骨の穴は無残に向こう側に通じてしまう。場所が悪かったのだと自分に言い聞かせてまた別の場所をはぎ、そいで、削っていく。しかしそこでも何も見つからない。何度もそれを繰り返してようやく「奥には何もない」のだということに気づく。鏡の前に立って見れば、そこには穴だらけになった自分の体が映っていた…


 これは比喩です。しかし同じような苦しみを感じている人は大勢いるでしょう。彼らの苦しみを果たして僕らは馬鹿にすることができるでしょうか?砕けたガラスの散らばる道を、足を血だらけにしながら、その先にある輝く光を求めて歩く人を馬鹿にすることが本当にできるでしょうか?


 彼らのために自ら真っ先に駆けていって、偽者の光をかざす人のことを愚か者と呼ぶことができるでしょうか?

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