2013年1月10日の雑文


 夕刊に、パロマの社員が例の一酸化炭素を放出する

ヒーターの回収を今も行っているが、全て回収あるいは修理する

見込みは全く現時点ではついていないとの記事が載っていた。

なんでも、なぜか危険だということを説明しているのにも

かかわらず回収も修理もさせてくれないという人がいるとの

ことである。その部分を読んだ瞬間私の頭の中にある

物語が形作られた。夕食を食べ終えてから、風呂へいくまでの

ほんのちょっとの休憩中の話である。


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 それは身寄りのない老人だった。何年も前に妻は

亡くなっていて、子供はいない。何年もその家を訪れる者は

なかったが、最近頻繁に呼び鈴が鳴るようになった。老人が

使っていたパロマの湯沸し機に問題が発生したとかなんとかで、

それを無償で回収するために毎日老人の家を訪問しているのである。

老人は自らの体を心配して一人の男が家を訪問しつづけてくれることがうれ

しかった。それゆえにすっかりと埃をかぶっていた

座布団と、客用の湯のみを、彼が訪れてくれるようになってからは

いつでも取り出すことができるところにおくようになった。


 しかし、パロマの湯沸し機(ヒーターじゃなかった)

を回収あるいは修理させてしまったら、そこで彼の仕事は

終わってしまう。もう自分のもとを訪れてはきてくれなく

なってしまう。だから回収も修理もさせずにいた。

一度暖かさを覚えてしまうと、もう孤独の世界に

戻るのはいやなのだ。たとえ目の前のともし火が、

どれだけかすかでたよりないものであったとしても。

 でもこんなことはもうやめよう。あの人にも悪い。

いい加減仕事を終わらせてあげなければ、まだまだ

回収しにいかなければならない家庭はたくさんあるのだから…


 最後に、感謝をこめて彼に簡単な料理を作って

もてなしてあげることにした。長い間

料理なんて全くしていなかった。だから勝手がわからない。

誤って湯沸し機のスイッチを押してしまう。頭の中は

どうすれば真心をこめて料理を作れるか、それでいっぱいだったから…

部屋に満ちる一酸化炭素。何があったか理解することもできず

薄れていく景色。どんな料理を作ればあの人は

喜んでくれるのだろうか…


パロマの社員が異変に気づき、警察とともに

中に入ったときには、すでに事切れていた。

しかし一酸化炭素中毒で亡くなったその寂しい老人の

顔は、なぜか何か充実した思いに満たされているかのような

ものであったという。


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