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013:自己紹介②

前回書いたのが去年の6月。ずいぶん経ちましたね。いつものこと。時々、ここに戻って来てふらつき始めた足元を見つめ直すきっかけを探しているんだと思います。

前回の自己紹介では学生を終えるまでの気持ちの流れをざっと書かせてもらっていました。文章を書くということは自分の精神世界と向き合うことであるので、どうしても精神論の話になります。未だに呪縛、呪いみたくずっしりと胸の真ん中に居座るもの。それと向き合うことになります。それは同時に自分自身に向けたセラピーであり懺悔的なものになったりします。

だけど、

生きていかなくてはならないので、多分、生きていていいと思うので自分を癒そうとすることはそれほど悪いことではないはずだと思い、ここではとりとめもなく文章を書かせてもらっています。

前回、自分の心は空洞、それを埋める呪いの言葉、について少し触れました。そういう風に第三者的に捉えて向き合うようになるまでに結構な人生のリソースを割くことになりました。でも、最低限与えてもらったもののお陰で運よく、なんとか今日までしのぐことができています。

心が空洞、こういった心の状態になることがあると本で見つけた時に、やっとしっくり来た感覚を今でも忘れないのですが、要は、自分が、なんというか、居てもいいんだ、と思えるようなものをどうやら幼い頃に十分に与えてもらえなかったんだということ、みたいでした。あと、どうも遺伝もありそうで、年齢を重ねるごとに何気なく、胸が苦しくなることがあるようです。今思い起こせば、母も訳もなく襲ってくる焦燥感に苦しめられていたようでした。それが子供にも伝搬するもんだから環境も不利になる訳です。

私は、幼い頃、小学校を卒業するくらいまでかな、おもちゃやゲーム機が欲しくていつも週末になると大声で人前で泣いてわめき散らしていました。今思えば、泣いていた記憶はあるけれども、両親に抱きしめてもらった記憶はほぼない。

友達も多くはなかったけど一応、遊んでくれる同級生はいて、毎日誰かしらと遊んでいましたが、母親はいつも私が友人と遊ぶことに疑問を呈していて、なぜ人となんか遊ぶの?と言われ続ける日々。それは一つの側面で、大抵の私の言動は否定されることの方が多かった。こうしたい、ああしたい、という欲求みたいなものを持つことは否定され、泣いていても決して抱きしめてもらえることもなかった。

決して愛していなかったのではないと思います。きっと、多分。でも、幼い子供にはその気持ちを汲み取ることなんて到底無理で、結果、愛を知らない子供としてその幼少を過ごしたのだなあ、と大人になって、人生につまづいて初めてはっとさせられたのでした。

そして、他人との距離を測ることのできない一人の子供は、他人に近づきすぎて気持ち悪がられたり、他人に興味が持てなくて冷たい、つまらない人間と思われたり(あ、多分ですが。。他人の気持ちはわからないのですが。)。そう思ったのは、後に、人との距離が心地よく近づくことが、生まれて初めてできた時に、あー、あの時のあれはそういうことだったのか、と思ったのです。。大人になると、少しは他人の気持ちがわかるような気はします。

そんな空洞に飛び込んで来た、呪いの言葉。

一旦は、人生持ち直しました。でも、長くは持ちませんでした。。

…つづく(笑

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