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狂犬病になってしまえば

狂犬病は一度なったら水が飲めなくなって死ぬらしい。
一度感染すると致死率はほぼ100%。特効薬も今のところない。

尿管結石は死ぬほど痛いらしい。
僕が日頃から悩まされいる偏頭痛の何百倍も痛いらしい。痛みで意識が飛ぶらしい。この病気は生活習慣病なので、僕もこの生活を続けているとなるかもしれない。

ニートはまじで苦しいらしい。
Twitterで得た情報によると、「宿題をやっていない夏休みの最終日」がずっと続くような感覚らしい。多分死にたくなる。
僕もこの生活を続けているとなるかもしれない。


芦屋に住むセレブ犬は、もちろん僕に噛み付いたりなどしなかった。
ただ飼い主の隣で面白くなさそうに散歩していた。
そいつは楽器を抱えた僕を不思議そうな目でただ眺めて、僕はそいつを睨みつけてその場を去っていった。あいにく僕は猫派だ。
その犬は、綺麗な目と肌をしていた。飼い主の方がどちらかというと適当な格好をしていた。
動物にどんだけ金が掛かっているんだよ、と僕は苛ついたが、その怒りはどこからきたものなのかはわからなかった。

きっとそんな毛並みの良い犬を飼ってるくらいだから飼い主はさぞ小金持ちなのだろう。どこかの商社マンか、社長、もしくはそれに近しい人なのかもしれない。
金があれば美味い飯が食える。きっと僕のように昼飯をいくら安く済ますかを考えないで済む分、なおさら美味いと感じることができるだろう。
固い外国産の肉ではなく、柔らかくジューシーな国産の肉を食うのだろう。
そしてそれを愛犬にも分け与えるはずだ。
いっそのこと、二人揃って生活習慣病にでもなるのではないだろうか。

金でも買えないものは幾らかあると思うし、生活習慣病なんてものは金があればあるほどリスクが高まる。けれどもこの日本という国ではある程度けながないと人並みの幸せは手に入れることはできない。金がないものは、生活習慣病にすらなることができない。
それは資本主義の日本で当たり前のことであり、僕はそれに最近まで気づくことができなかった。
「誰か」と比較するということは僕らの世代にとって当たり前のことであり、だからこそ少なくない競争の数々を乗り越えてきたのだと思う。
音楽をしているとずっと誰かと比べられ、自分自身もずっと誰かと比較し続ける。
それは音楽だけじゃない、全ての生活や生き方全てだ。自分はこんなふうに幸せに生きている。何も寂しくない。趣味を持って人生を謳歌している。
そんなことをSNSでアピールしないと僕は自分を誇示できない。しかしそんなアピールは、自分自身の心が寂しさを見抜いてしまうので何の意味もない。

前に働いていた、バイト先の友人のSNSの投稿が流れてきた。
そこには前に好きだった先輩の笑顔と、旅行先の景色があった。
美しい景色と良い服を着て、良いメイク用具を使い自分の容姿を彩っていた。実際その先輩は、とても綺麗な方だった。

その先輩とはバイト中によく話した。

お母さんと休日にショッピングをした。
好きなバンドのライブに行った。
さっきのお客さんがイケメンだった。

その全てに僕は共感することができなかったし、違う人間だと感じた。
所作や容姿がとても美しい彼女に、僕は無理やり「美しい性格」というものを押し付けて、勝手に幻滅した。
本当は家族との仲良い話なんて聞きたくないと思った。僕と同じで家族にコンプレックスを抱いてほしいと思っていた。
彼女が好きなバンドは、僕は全く好きではなかった。僕が内心嫌っていたバンドの話を彼女はよくしていた。さっき来たイケメンなんて見ないで欲しかったし、実際そんなにイケメンではなかった。

そんな押し付けを孕んだ歪な恋愛はさっさと振られて終わらせた。
きっと僕の息苦しい性格を、彼女は内心、嫌に思ってたのだと思う。
捻くれた僕が放つ言葉や空気は、決して人を幸せにさせるものではなかった。
彼女の性格や容姿、育ちが美しければ美しいほど僕は生きていることが惨めになった。
これまで抱え込んでいた孤独や嫉妬心を、一体どのように抱きしめて良いのかわからなくなった。


セレブ犬を見るといつも彼女を思い出す。
セレブ犬が醸し出す無慈悲な美しさは、どこか彼女と似ていた。

犬は猫のように寂しさを隠さない。
犬は寂しい時にちゃんと寂しい顔をする動物だ。
寂しいと表情でアピールし、しっかり餌をもらう。

猫は、不器用で寂しさを顔に出さない。
寂しい時に寂しいと言えない。
ただ身体を安く売る時もあるが、何があっても他の猫や動物と馴れ合わないやつも多い。

いつまでも猫ではいられないし、犬とも仲良くしなければならい。
実のところ犬は猫を否定しない。猫が勝手に犬を怖がるのだ。

狂犬病に罹るのが怖くて僕は犬に近づくことができないが、いつまでもそんなことは言ってられない。実のところ犬は、ただ優しく餌を待って吠えているだけのことばかりだ。

もしくはもう、狂犬病になってしまっても、それはそれで良いのかもしれない。







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