連休に自由はない。憂鬱。

世間はゴールデンウイーク。
連休になると途端に遠出をする人が増える。
僕の周囲も「連休は〇〇に行く」「友達と遊びに行く」等々、楽しそうな話をしている人が多い。

正直僕は連休に気兼ねなく遊びに行ける人が羨ましい。
遊びの予定を詰め込みに詰め込み、疲れるまで遊びに行ける人が心底羨ましい。

僕はそのような行動をとった際に後から降りかかってくる災難に耐えうる自信がないから。

この話をするには僕の妹の存在が随分大事な要素になるので少しだけ紹介を…
僕の妹は自閉傾向あり知的障害ありのいわゆる「障害者」に分類される人。
外出が好きで1日のうちに1度も外に出られない・予定がないとなると高確率で夜にパニックを起こす。まあそうでなくともパニックは起こるんですけどね。
加えてかなりの我儘さんでもあるので極力パニックを起こさせたくない我が家の人間はその我儘にある程度付き合う傾向がある。

まあそんな感じなので学校や仕事などのない日は毎日のようにどこかに連れて行かなければならない。
父親と妹の2人の外出は高確率で事件と波乱が起こるので滅多になく、母親と僕がその役目を負うことが多かった。
とはいえ僕も数か月前までは大学生。数年前までは高校生。
自分自身の遊びの予定を詰め込みたいのも本音だ。
その本音を少し出しつつ押し殺し、連休中も半分は家にいるようにする日々を送っていた。
同級生たちが毎日のように遊びに行く中、最低限の外出予定に控え極力妹を外に連れ出せるように努めた。

つもりだった。

確か僕が大学2年のころ。
とある連休の際。
遊ぶ予定をほとんど入れず、サークルとバイトのみに控えた。
休みのうち数日のみだけど妹を外に連れ出すように努めた。
我ながら、多少の戦力にはなったように思っていた。

連休最終日、母親がキレた。

「私ばかり〇〇(妹)の面倒を見ている」
「他の人は何も手伝ってくれない」

色んな感情が湧いてきたがそのどれかを判別するより先に涙が出てきた。止まらなかった。

僕は僕なりに出来る範囲で妹の面倒を見ていたつもりだった。
【大学生】という人生の夏休みを謳歌し友人と遊びたい盛りの中、遊ぶ予定を減らし、誘いも断り、ほんのわずかしか遊びに行かずにいた。
それなのに「何も手伝ってくれない」と言われた。

空しかった。

母親の言い分も分かる。
家族の中で一番母親に負担がいっているのも事実だ。

だからと言ってその言い分はどうなんだ?とも思ってしまう。
父も母も学生時代を謳歌し大学生の頃は恐らく僕よりも遊んで、その上で今を生きている。
僕はその遊びたい盛りの真っただ中。それでもその欲を抑えて最低限で満足しようとしていた。それなのにその努力を評価されなかった。

このようなことを言われたのは1回や2回ではない。
もう数える気も起きないくらいに言われた。

いつからか僕は連休が近づくたびに憂鬱な気持ちになるような体質になってしまった。

妹の面倒を見なくてはならない。
でも面倒を見てもその頑張りは評価されない。面倒を見るために予定を開けても、自分の時間を犠牲にしても評価されない。ただその努力を無下にされて加害者扱いをされるだけ。
でも妹の面倒を全く見ずにそのことを言われれば言い返す言葉も権利もないが、自分を犠牲にしたうえでそのようなことを言われたら少なくとも心の中で「僕だって我慢しているのになぜ評価されないの」と悲劇のヒロインぶれる。

今回も連休が近づくにつれて不安と精神的苦痛が大きくなっていくことを感じた。
遊びに行く予定1件と食事1件入れてしまった。
この程度で【入れてしまった】と認識してしまう位には認知のゆがみが生じている。
でも仕方ないの。遊びに行った帰りはいつも「怒られないかな」「妹の面倒見られなかったな」って後悔するから。遊んでいても心底楽しめることは少なくて「帰ったらなんて言われるのかな」「僕が遊んでいることをどう思われるのかな」って思ってしまうから。
その不安とリスクを抱えるくらいなら遊ばない方がマシ。

そんな人間。
社会性なんてそんなものはないよ。社会性を育成できる環境にないよ。

連休の方がむしろ気が休まらない。

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