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【書評】エマニュエル・エジェルテ著、西川秀和編訳『サン-ジュスト伝』が刊行!

はじめに

 「革命の大天使」、「死の天使長」などの異名で知られ、ロベスピエールの右腕として活躍し、自身もテルミドールのクーデターによってギロチンの露に消えた若き革命家サン-ジュスト(1767~1794)の本邦初の本格的な伝記が翻訳された。

訳者について

 本書を手掛けた「翻訳工房DOCTEUR」を主宰する西川秀和先生は、建国期のアメリカ大統領を専門とするアメリカ史研究者で、『アメリカ人の物語』シリーズ(悠書館)や『アメリカ歴代大統領大全』シリーズ(大学教育出版)等の伝記執筆の傍ら、「原典翻訳シリーズ」と銘打ち、『増補版 サンソン家回顧録』や『重罪判決執行人 サンソン家の系譜』、『ロラン夫人回顧録』を始めとするフランス革命物のみならず、ウォルター・ノーブル・バーンズ著『ザ・サガ・オブ・ビリー・ザ・キッド』や『ロビン・フッド原典集成』、『アーサー・コナン・ドイル 北氷洋日記』等、数々の翻訳書を個人出版し続けている。

『ベルサイユのばら』のサン‐ジュスト

 おそらく多くの日本人は、サン-ジュストといえば、池田理代子先生の『ベルサイユのばら』(1972年)の「サン・ジュスト」や『おにいさまへ…』(1974年)の「花のサン・ジュストさま」を連想するのではないだろうか。原作との異同が多いアニメ版の『ベルばら』では、独断で貴族の暗殺を繰り返す強烈なヴィランとして登場し、ロベスピエールに国王夫妻の暗殺を提案、主人公のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将を一度ならず二度までも暗殺せんとする「血に飢えたテロリスト」として描かれるなど、きっとご記憶の方も多いだろう(ちなみにアニメ版の脚本家の一人である山田正弘は、初期ウルトラシリーズのみならず、大杉栄が刺された日蔭茶屋事件を描いて神近市子から提訴された吉田喜重監督の映画『エロス+虐殺』の脚本も手掛けている)。

本書の特徴

 評者も校正に協力するまでは、国王裁判における「ルイは殺されるべきだ。裁かれるのではなく」との有名な処女演説からテルミドールのクーデターに至る早すぎた晩年の伝記的事実しか知らなかったが、本書はフランスの詩人にして歴史作家のエマニュエル・エジェルテ(Emmanuel Aegerter,1883~1945)の”La vie de Saint-Just” (1929)の全訳であり、「訳者による解説」にもあるように、「誤謬や誤記が散見されるという問題点や1951 年に発見された『自然論』が考察に含まれていないという問題点などがある。それでも本書はサン-ジュストという人物の全生涯について一般読者が理解できる基本文献として有用」なのである。年表、関係資料の翻訳(同時代人の記録を抜粋して紹介)、邦語文献リストも収録され、約800に及ぶ詳細な訳注が付されるなど、非常に充実した内容になっており、初学者にも自信を持ってお勧めしたい。

著者について

 作者のエジェルテはサンフランシスコ出身で、フランス商船省の図書館司書としてその生涯を終えたが、中世イタリアの神秘思想家フィオーレのヨアキムやキエティスム(静寂主義)を代表するフランスの神秘家ギュイヨン夫人のみならず、同時代を生きた革命家のウラジーミル・レーニンや詩人のギヨーム・アポリネールに関する数々の著作を残している。

 フランス近現代詩の訳詩集『月下の一群』(1925年)で名を馳せた詩人の堀口大學は訳詩集『海軟風』(1954年)において「僕の胸の思ひは」というエジェルテの詩を一篇だけ翻訳しているが、巻末の「詩家略傳」には「傳を缺く」とあり、その伝記的事実については、あまりよく知られていない。

従来像を覆すエピソード

 評者が特に興味深く思ったのはサン-ジュストの前半生で、カンボジアのリティ・パニュ監督が『消去 虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実』において、サン-ジュストの『共和制度論断片』について「命令ばかりで友愛が感じられない」と評しているように、その人柄に対しては冷酷非情な印象を持っていた。しかしながら、若き日にルイーズ-テレーズ・スィグラド・ジュレ嬢と相思相愛になるも、交際に反対した父親によって彼女が他の男と結婚させられ、ショックのあまり、自宅にあった銀食器を盗んで家出し、放蕩した挙句、まるで『ベルばら』の首飾り事件のジャンヌ・バロワのように、手紙を偽造して自己弁護を図るも、実母に見破られて感化院に送られるなど、意外と人間臭いところもある。トラン夫人となったルイーズも国民公会の最年少議員となったかつての恋人のいるパリに出奔するなど、なかなかドラマティックであり、本書に収録されている「サン-ジュストの小説」は「トラン夫人との不倫を示唆する走り書き」という説もあるぐらいである。付録のアンリ-クレマン・サンソン『サンソン家回顧録』の抜粋にはサン-ジュスト達の処刑の様子が克明に記されており、子ども時代にサン-ジュストと会ったシャルル・ノディエの『革命と帝政の思い出』の抜粋では「我々が目にするような優美な特徴の組み合わせとはほど遠かった。確かに彼は美しかったが、それは大きく少し不格好な顎を幾重も襞を持つ独特の布地で半ば覆っていたおかげ」と評されるなど、関係者ならではの証言によってステレオタイプなイメージが覆されていくのが面白い。

今後の展開について

 西川先生は「澁澤龍彦も題名を挙げているアルベール・オリヴィエ著『サン-ジュスト伝 Saint-Just et la Force des choses』も著作権が失効しているので翻訳を検討しましたが、500 頁を超える分量なので断念せざるを得ませんでした。ただもし本書が好評を博すればオリヴィエ著『サン-ジュスト伝』の翻訳にも挑戦したいと考えています。(中略)またサン-ジュスト自身による作品、たとえば『オルガン』なども翻訳したいと思っています。他にもまだ単行本の翻訳がないダントンの伝記やロベスピエールの妹による『2 人の兄弟に関するシャルロット・ロベスピエールの回顧録』の全訳も刊行したいと考えています」と記しており、売れ行き次第では次の展開も期待できるので、ご関心のある方は是非ご注文されたい。本書の特装版・電子書籍版はBOOTHから購入が可能である。

特装版『サン-ジュスト伝』 - 西川秀和 - BOOTH

※本稿は月刊紙『アナキズム 第46号』(2024年1月1日)に寄稿した「エマニュエル・エジェルテ著/西川秀和編訳『サン-ジュスト伝』が刊行」の加筆修正版である。筆者は毎号編集に協力しているが、刺激的な論考が目白押しのため、読者諸賢には是非ともご購読いただきたい。

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