ご近所さん

ご近所さん

中川千英子さんの示唆に富むエッセイ。

サルなんかが仲間に「敵が来た」とか「食べ物がある」とか、声で合図をしてますよね。あれが「物語」の最も古い形なのかな、と思ったり。

脳が発達して記憶力が増してゆくと、「食べ物がある」が、「さっき、食べ物があった」→「きのう、食べ物があった」→「半年前、食べ物があった」→「5年前、食べ物があった」→「むかしむかし、食べ物があった」と、だんだん物語っぽくなってきます。

つまり、物語は石器と同じように、人類が生きてゆくために生み出された道具で、それは最初は声、後に言葉となり、粘土板に書かれるようになって文字が発生し、紙が生まれ、いまはモニタ上で語られているわけで、物語を運ぶための「容れ物」は時代とともに変わっているけど、物語じたいは途切れることなく存続しているし、これからも当面はそうだろうと思います。

紙の本はいずれなくなると思います。それは現代の日本人で石器を用いて肉を切っている人はいない、ということとおんなじように。しかし、器のなかに入っていた物語じたいがなくなることは当面はなさそうだと思います。次に物語を運ぶ器は何か?ということに興味がわいてきました。

読んで下さりありがとうございます!こんなカオスなブログにお立ち寄り下さったこと感謝してます。SNSにて記事をシェアして頂ければ大変うれしいです!twitterは https://twitter.com/yu_iwashi_z