どらえもん

線でマンガを読む『藤子・F・不二雄』

あらためて読み返してみると、とんでもないエピソードが満載なのだ。「なんでも空港」という、”近くを飛んでいるものならなんでも降りてくる”ひみつ道具を使い、鳥や蝶を集めて遊んでたところまではよかったが、なんとジャンボジェットが引き寄せられて降りてきてしまう。物語は飛行機が不時着する寸前のところで終わるが、このあとどうなっただろう。ふつうに考えれば、大事件である。

『ドラえもん』

また、オンボロ旅館を立て直すためにドラえもんとのび太が奮闘する回では、旅館に食材を買うお金がなく、お客さんに料理を出せないので、「ソーナルじょう」という白い錠剤を飲ませる。すると、それを飲んだ本人は、なにも食べてないのに、あたかも豪華なディナーを食べている、という幻覚をみるのだった。やばい薬じゃないか。

『ドラえもん』

藤子・F・不二雄の野放図さに舌をまく。面白いことを考えついて、それを描くさいに、ほかのことは気にしない。マンガだから、もちろんそうであってもぜんぜん構わないのだけど、藤子Fの突き抜け方は他の作家の追随を許さない。たとえば手塚にはこういう野放図さはない。インテリの手塚は、どうにかして理屈をつけようとするが、藤子Fは、あまりそういうことに意識がいっていない。

『ドラえもん』には、「大事故だよ!」「それ犯罪ですよ!」と思わずつっこみたくなるエピソードが多々ある。なんといっても「ドラえもん」という存在。この22世紀から来たロボットは、使い方しだいで非常な危険をともなうひみつ道具を「未来デパート」で買ってくる。お金の出処はわからない。さらに、そのひみつ道具をわりかし軽率に使う。

しかし、「そんな野暮なことはいいじゃないか」といって、許してもらえるのが、ドラえもんである。それは、藤子Fの描線の、なんともいえないおおらかさによる。

『ドラえもん』

タケコプターで飛ぶドラえもんの後ろ姿である。ゆるい。ぼってりした胴体に、餅みたいな手と足がくっついている。きれいな丸ではなく、線がところどころフニャフニャしている。そして腹の垂れ下がり。また、右脇のところが、ちょっと膨らんでいて、まったくもってスマートではない。ドラえもんのキャラデザインと、隙のあるフリーハンドの線が雄弁に語っている。こいつはぜったい悪いやつじゃない、と。

おなじ作者のマンガでも、『キテレツ大百科』のキテレツがドラえもんと同じように幻覚をみせる薬なんかを使っていたら、「それはダメだろう」となる。キテレツにはドラえもんほどのゆるさがない。だからドラえもんほど無茶なことはできない。ドラえもんのキャラデザインが少しでも異なれば、『ドラえもん』は子供に読ませたくないマンガになっていてもおかしくない。毒を秘めた破天荒な面白さと、良識を逆撫でしない安心感という真逆の要素を両立させる、ほんとうに稀有なデザインだ。

『ドラえもん』というと、マンガよりもアニメのほうに親しみがある、という人も多いだろう。どっちも面白いが、マンガはマンガならではの良さがある。たとえばドラえもんの顔芸。これはあきらかにアニメよりマンガのほうが面白い。

『ドラえもん』

省エネモードでもあるのか、マンガ版のドラえもんは、ふだんは無表情だ。ぼけっと人の話を聞いているようなところがある。少年マンガとしてはテンションが低い。楽天的でのんびり屋さんである。余計なことは考えないタイプなのだ。のび太よりも考えが浅いことも多い。

『ドラえもん』

「ゆるす!」じゃないよ、まったく。こんなに現金なロボットはほかに見たことがない。ほんとうはひみつ道具をもたせてはいけないタイプの人、もといロボットだと思うが、でも、ドラえもんだから許される。ずるいぞ。

※本コラム中の図版は著作権法第三十二条第一項によって認められた範囲での引用である。

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