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私の読書の話

はじめに

「読書論」などというほどきちんとした方法論ではありませんが、自分がやっている読書の方法、本についての考え方などを少し述べてみたいと思います。

「傍線」は引かない

「読書論」の本を読むと、「傍線を引く」ことの効用を説くものが結構あります。つい最近も、ネット記事で「読書のコツ」として線を引くことを勧めたものを読みました。私も、かつてそういう本を読み、チャレンジしてみたことが一度あります。

しかし、二冊ほどの本に赤線を引いてみて、すぐにやめました。うまく表現する事はできないのですが、なんだか本に対してどうしようもなくすまないことをしてしまった、という気分になったのです。それ以後、その本を開くことすら躊躇われてしまい、結局は手放しました。十数年前のことだったと思います。胸がむかむかすると言うか、落ち着かないというか、とにかく線を引いた本を開くのが苦痛でした。

今考えると、自分にとって本は単に「情報を得るためのもの」ではなく、「本そのものを一つの作品として見る、所有する」ものであるから、「線を引く」事に抵抗があったのだと思います。情報や知識を得るためであれば、その媒体が紙であろうと電子であろうと関係ないとは思いますが、「本を所有したい」となれば話は別です。本を読み、それを棚にかざるのであれば、なるべく「形」をそのままにしておきたい、というのはコレクターの人情でしょう。

もちろん、傍線を引く事を否定するわけではなく、単に趣味の問題です。ただし、「傍線を引いた方が読書が身に付く」という意見については、「そんなの人それぞれだろ」とは言いたくなります。

また、本の種類によってもこれは違うかもしれません。「知識」ではなく、一時的な「情報」を得るために買う本、また批判的に読む本であれば、「道具」として扱うこともできるかもしれません。

ふせんを貼る

これは線を引かないこととも関係があるのですが、気になった場所はなるべく「ふせん」を貼ることにしています。ふせんなら貼ったらまた剥がせますし、本自体に痕跡が残る事はありません。ただ、あまり粘着力の強いふせんを古い本(紙質が良くないもの)に貼ってしまうと、剥がすときにやぶれてしまうことがあるので、注意しなければなりません。

そして、私が使うふせんは紙ではなく、下記のようなビニール製のものが主です。

これはのりがついている部分が透明なので、ふせんを貼ったまま下の字を読む事ができ、また矢印などを書き込む事もできます。紙のふせんと違って破れる事もほとんどありません。私は箱入りの本なども良く読むのですが、紙のふせんだと箱に戻した時にやぶれてしまい、貼った場所がよくわからなくなってしまうこともあります。その点、これはやぶれにくいので安心できます。

リンクしたものは少し値段が張りますが、セリアなど100円ショップにも似たものは売っているので、気になった方は覗いてみてください。

古書のおもしろさ

私は、近現代史について文章を書いて生活しています。それ以前に、歴史関係の本が好きなので、神保町をはじめとした古書店によく行き、昔の本なども買ってきます。

その際、気をつけているのが「値段」です。古書には「相場」はあっても「定価」はありません。それゆえ、同じ本が甲というお店では1000円なのに、乙という店では500円、という事もありえます。もちろん、100円の本は大体どこのお店でも同じような値段で売っていたりしますが、少し貴重なものだと値段の幅が広がることが結構あります。

私個人の体験で言えば、200円で購入した本が別のお店で数千円でで売っていた事もあります。こうした場合、すごくお得に買えた、自分の選択眼がよかった、などと一人喜んだりします。

当然この逆もあります。お金のないころ5000円ぐらいの本を「もっと安いのがあるかもしれない」と買い控え、しばらく経ってから10,000円近くに値上がりしてびっくりした事があります。その後さらに値上がりし、40,000円ほどにまでなっていて、非常に後悔した思いがあります(その後9000円ぐらいのものを見つけ、購入しました)。

このように、古書には「宝探し」のような面白さがあります。古書店に出入りしているうちに相場がわかってきて、「これは安い」「これは高い」など、見分けられるようになるとまた違った楽しみが見出せるようになったりもします。

この楽しみは、新刊書店では味わえないものです。古書を漁る楽しみの一つは、こうした「宝探し」にあるのではないでしょうか。


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