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みらコミテックの参加理由と描く未来

僕が現在愛媛で行われている起業家合宿「みらコミテック」に参加している理由と描く未来に関してここに書きます。
あえてここは文章の形なんかは気にせず、思いのまま書こうと思います。

なぜ「みらコミテック」に参加しているのか。

なぜか。
会社が一切つまらなかったから。
こんなことを言うと勤めていた会社に申し訳ないが、超大真面目。
これは会社が悪いのではない。よくなかったのは、自分。

愛媛で大学生活を4年過ごし、東京に1年と半年ほどいた。

大学在学中にテックアイエスというプログラミングスクールの立ち上げ初期からインターン生として参画させていただき、そこでは人の価値、テクノロジーの価値を知り、生き方のヒントを多く得た。
そこで今の生き方の基盤である、「人生は一度きりであり、自分に素直に、欲求に忠実であるべきだ」という考えを持った。
一度きりしかない人生、好きなだけチャレンジしていい。
ワクワクし続ける人生がいい。
今でも本気でそう思っています。

東京に行き感じたことは「人の冷たさ」ではなく、何より「固定概念の硬さ」
「こうあるべきだ」という考えや文化はめちゃくちゃ強い。
特に身近に感じていたのは「キャリア」という言葉。
東京にいて周りのほとんどの人が「どの会社で」「どのような経験を積み」「どう出世するか (or どう独立するか)」と考える。
言っていることはわかる。正しいのかもしれない。

だが当たり前のことだが、僕らは「キャリア上」でだけで生きているのではない。
地球にただ存在しているだけ。生存意味すらそもそもない。
であればもっと自由に自分に素直に生きていい。生きる意味をつければいい。もっと固定概念に捉われず他の選択肢があっていい。
むしろそうすべきだ。

ただ、東京に一年いる間に気がつけばその固定概念に捉われていた。
東京に移動して一年後、転職の機会があり今持っているスキルセット的に営業、ただキャリア的な価値を考えると個人営業ではなく、法人営業の方がよく、マーケティングのスキルもいるな、と考えマーケティングツールの法人営業職に転職した。

結果、3ヶ月でやめた。
途中で手が動かなくなり、働く意味がわからなくなった。というよりも、そもそもなかった。

岩本という人間が求めているのは、ワクワクするもの。
そして一緒にワクワクできる仲間。
漠然としたスキルが欲しかったわけではない。
スキルは強いが手段でしかない。

一般的に甘いことを言っているのかもしれないが、そんなことは知らない。本気で思っている。

そして、ワクワクする自分の人生のため、みらコミテックに参加を決めました。

みらコミテックに参加して

参加はしたものの、事業化できるスキルもないし、すごいアイデアがあるわけでもない。
結果ろくなビジネスモデルは浮かびませんでした。

ただ、そこでも起業家合宿だからといって、ちゃんとしたビジネスモデルを作らなきゃいけないのかという考えは持っていた。

だからこそ、周りのメンバーの事業プランが決まろうがなんだろうが、将来ありたい絵を具体化したり、その手法については多く模索し悩んだ。

イワモトが描く将来の絵とこれから

本気でワクワクすることに向き合って、全力で突っ走っている自分がいる。
その周りには多くの人がいて、みんなが各々ワクワクすることを全力でしている。そういう人たちと勝負しながら助け合いながら生きている。
庭が広めの一軒家に住んでいて、そこには夜の22時なのに平気で人がやって来る。BBQしながら未来のことを語り、熱く話しながらわが子は遊んでもらっている。
自分が死んでも、わが子や妻はもちろん、友人も近所の方もそんな温かい人たちが周りにいる。技術が進歩した今、場所を問わずそんな関係の人が日本中にいる。人同士が最高に互いの人生を豊かにしあっている環境がある。

これが僕の描く未来の絵です。

これを本気で叶えにいく。
自分が死ぬまでにはこの絵を作る。

であれば人はもっともっと人らしく生きなくてはいけない。
自責で選択をして自分の人生歩まなくてはいけない。
心があるのが人でそれに素直に生きなくてはいけない。

だからキャリアのような多くの固定概念であったり、環境であったりと言ったものに負けず、多くの人が挑戦できるようにしていく。

まずは自分が全力でそう生きること。
その姿を周りに示していくこと。
これがスタートだ。

この将来の絵を作り上げるためになんでもする。
人が自分の人生にワクワクできる世界にする。


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