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シーグラスとおばちゃん

和歌山のアメリカ村こと三尾集落に1年ほど住んでいた関係で、和歌山県日高郡周辺(中紀というみたいです)のローカル紙「日高新報」を定期購読しています。今日付の新聞で、僕が和歌山にいるときにお世話になったおばちゃんが一面に出ていました。県の事業を受けてシーグラスアクセサリー作りのお店を開業したというニュースが載っていました。

シンプルに超嬉しい。そのおばちゃんが前々から悩んでいたシーグラスアクセサリー作りを自分の「仕事」として一歩を踏み出されたんだなと思うとこみ上げるものがあります。そんな海猫屋のリンクは以下から。

今日は私の三尾での滞在の多くをしめたそのおばちゃんとシーグラスの話をしたいと思います。

このおばちゃんは僕にとても大切なことを教えてくれました。

シーグラスとは

シーグラスとは、ガラス瓶の破片などのガラスが、海に落ちて波の力で揉まれて研磨されることで、石のようなガラスのような不思議な状態になったものです。

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僕もそのおばちゃんに教えてもらうまでは意識したことがなかったですが、実は海岸線(特にゴミがたくさん漂着してるところ)にはたくさんのシーグラスが落ちています(海猫屋公式インスタより。)

青色や、緑色、茶色などが主で、ごく稀にビー玉が海に揉まれてシーグラス化した「シー玉」が見つかることもあります(下の画像は拾い物)。

三尾に住んでいた1年間、おばちゃんに連れられて、シーグラスを拾ってアクセサリーにする過程を教えてくださりました。

シーグラスを拾いながらビーチクリーニング

海辺の田舎に住んでる女性の方とかはもしかしたらよくされている方いらっしゃるかもしれません。おばちゃんがやっている「海猫屋」のこだわりは
自分が拾ったシーグラスを自分だけのアクセサリーに自分でする。
最初に三尾の近くの海で良さげなシーグラスを探します。

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探していると、海岸沿いにとんでもない量のゴミが漂着していることに気付きます(シーグラスも海に漂うガラスが漂着したものなのでゴミが多いところに多い。)そこで、シーグラスを探しながらゴミを拾いも同時にやります。ゴミ拾いと一言で表すとなんてないですが、実はこのゴミ拾いが意外と楽しい。例えば、ゴミを拾っていると明らかに日本のものじゃないゴミが落ちてたりします。

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これとかは中国語ですね。中国の廃棄物が海流に載って漂着しているみたいで結構ありました。

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さらに、イカの甲羅をチョークの代わりにして岩に落書きしてみたり。

おばちゃん「あ、これおもろいで〜、岩に擦り付けると文字書けんねん。」
自分「いやこれ、むっちゃかけますやんw」
おばちゃん「せやろ〜、書き方ちょっと下手やな笑」

自分「この貝殻カッコよくないですか?」
おばちゃん「小さい貝殻は(アクセサリー作り的に)貴重やから集めといてやー!」

とかいいながら、ひたすらシーグラスを探しながら目の前のゴミを拾い続けました。

ゴミを拾うだけと思われがちですが、気がついたら時間がすぎてしまうぐらい楽しかったです。

シーグラスをアクセサリーに

そんなビーチクリーニングで拾い集めたシーグラス。それ単体でもなかなか綺麗なのですが、それをネックレスにしていきます。

上記のようなネックレスの作り方をおばちゃんには習いました。

紐を編み込みながら、石全体を包んで抜け出ないような形でしばります。これも複雑のように見えて、おばちゃんの指導が簡単であっという間に出来ちゃいました笑

こうして本体が完成したら、ネックレスのチャームを作ります。チャームはヤコウガイという巨大な巻貝の一部をドリルで切り取って、それを研磨していきます(写真上がヤコウガイ、下が研磨したもの。)

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ヤコウガイは研磨すると薄く緑に輝く層、次にキラキラ輝く真珠層があります。その層をうまいこと残しながら、紙ヤスリやレジンで綺麗にしていきます。さらに丸いドリルで全体が割れないように穴を開けて、糸を通して完成です。

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一つは薄い色調で、もう一つは緑とブラウンの色合いを狙ってみました。最初はゴミと一緒に海岸に落ちていたちっぽけなガラスが、ちょっと工夫するだけで、しかも自分の手で、立派なアクセサリーになりました。

この二つのアクセサリーは一つは母に、もう一つは妹にプレゼントしました。今まで自分自身のお洒落にすら無頓着で、まともにプレゼントをしたこともなかった長男の突然のプレゼントに戸惑っていましたが、喜んでくれました。母親のは今でも家の居間に飾ってくれています。

シーグラスを通して、漂着物が「海の宝物」になりうること、ビーチクリーンの楽しさを知りました。その後もおばちゃんと新アクセサリーを開発してみたり、と試行錯誤しながらアクセサリー作りを楽しみました。

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おばちゃんと僕

そして、「海猫屋」のおばちゃんからは「自分が作ったものを人にプレゼントすること」を「全面的にサポートしてもらい」ました。おばちゃんは親切に、器具とかも全部貸してくれて僕のアクセサリー作りを応援してくださりました。

おばちゃんは僕が三尾にいついてから、地域NPOの事務局のおばちゃんとして、居候先のGuest house & bar ダイヤモンドヘッドのお客さんとして、一緒にいろんなことをしました。シュノーケリングしたり、一緒にたこ焼き焼いたり、ドライブしたり、地元の人の話を一緒に聞きにいって聞き取り調査をしたり、その都度その都度、大変お世話になりました。おばちゃんは竹を割ったような性格で、僕にたくさんの金言を教えてくれた人でもありました。

時にはっきりと厳しいアドバイスもあり、時に行き場のない思いを優しく受け止めてもくれました。そんなおばちゃんの金言集の中で、僕が今でも口ずさむようにしている言葉があります。それが

「負けるにしても、攻撃的に負けろ」

うまくいかなかったり、やらかしてしまったりして、自己嫌悪になったり、自信を無くして慌てるのもいい。でも、負けるなら、やることしっかりやって、「攻撃的に」負けなさい。この言葉は僕にとって重い言葉でした。

僕には、失敗したこと、苦手なことを腫物のように避けて安心する癖がありました。家族がカバーしてくれる、仕事先だけならごまかせる、今まではなんとかやり過ごせていたことも、二十歳を過ぎ、見知らなかったゲストハウスのオーナーと二人暮らしの田舎暮らし。避ければ避けるほど、うまくいかず、苦しい部分もありました。

そんな時に、おばちゃんは厳しくて優しい言葉をかけてくださいました。自分が苦手なこと、ダメな自分を避けたらあかん。だからこそ、負けるなら攻撃的に負けなさい。例え自分がダメだったとしても、開き直れるぐらい攻めきる姿勢を大切にしなさい。

常に竹を割ったような性格で、正直で、ドギツく生きてきた、おばちゃんだからこそ、その攻撃的な姿勢への思いは僕の心に深く残っています。

そして、そんなおばちゃん本人は「超攻撃的」に定年後の余生を過ごしています。
生まれ育った三尾に戻ってきて、
定年を過ぎてから趣味のシーグラスアクセサリーを人に教え始めて、
作ったアクセサリーを道の駅に置いて大人気商品になって、
instagramも積極的に動かして、
僕がいた頃は「ようせんよ!」と言ってたはずのネット通販を開設して、
ついには修学旅行生を受け入れて、数十人の子供たちにビーチクリーニングとシーグラスアクセサリー作りを教えて、
そして、自身のアクセサリー作りの腕前は僕が最初に三尾にきた1年半前から圧倒的にうまくなっていて、
(ぜひこの下のinstagramの投稿は全写真見て欲しいです。1年半前に絶対に作れないと言ってたはずの亀やホエールテールのアクセサリーを作っています)

そんなおばちゃんの姿勢こそが、おばちゃんが僕に言ってくれた「攻撃的」な部分なのだろなと実感しています。

三尾から離れ、東京の実家に戻ってきて今でも三尾での1年と1ヶ月はとてもとても濃い日々でした。その多くを共にして、大変お世話になったおばちゃんの姿を見習って、僕も負けようが勝とうが「攻撃的に」明日も生きて生きたいと思いました。


ぜひ、海猫屋さん、そして僕が居候していたGuest house & bar ダイヤモンドヘッドをよろしくお願いいたします!!!


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