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天王寺動物園 アイファー・特別展示編(2023/4/8)

1.初めに

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。IWAOです。天王寺動物園へ再び行ってきました。ただし、今回は、リニューアルされた爬虫類館であるアイファーと特別展示である「生物多様性展-ペンギンアシカ物語-」の2つを見るために行きました。今回は、この2つの展示で面白かった所、見どころについて紹介します。

2.アイファー 構成

 まず、アイファーは、2階の構成となっており、1階と地下1階で構成されています。施設のほとんどで、世界に生息する爬虫類が展示されており、地下1階部分の半分で、日本の爬虫類、特に、大坂の自然とイシガメを中心とした生物で展示されています。今回のブログでは、その地下1階部分での世界の爬虫類と日本の生き物について紹介します。

3.世界の爬虫類

 ここでは、展示されている爬虫類で、私が見てほしい、面白いと思ったものを紹介していきます。
 まずは、「ニューギニアナガクビガメ」になります。名前の通り、首の長いカメになります。インドネシアなどのニューギニアやオーストラリアに生息するものになります。注目は、学名の変化です。オーストラリアに生息するこのナガクビガメを同じ学名(学名:Chelodina novaeguineae)で扱っていいのか、つまり、同種でとして扱っていいのかということに疑問を持つ学者がおり、オーストラリアの個体とニューギニアナガクビガメの関係について研究がされました。その結果、両者は別種であることが分かり、オーストラリアのものは、カンナガクビガメ(学名:Chelodina canni)として扱われるようになりました。また、天王寺動物園のものは、ニューギニアナガクビガメ、つまり、オーストラリアのものではないということになります。

日本にいるカメでは、このように首の長いものはいないと思います。

 次は、「インドセタカガメ」になります。外見的には、殻の山の部分が赤く、隆起しているのが特徴です。カメというと、「のろい」のが第一印象になると思います。しかし、このカメは、違い、「激しい」、そして、「単独が大好き」です。繫殖期を例外に単独で生活しますが、日光浴をする際も、他の個体と距離をとるようです。めちゃくちゃめちゃくちゃ早く動きまわるので、撮影するとぶれ、きれいに撮るのが難しかったです。色んな意味での私たちのイメージと正反対のカメです。

正面から見た写真です。
殻の峰になっている部分が赤くなっています。
横からみた写真です。
殻の頂点になっている所が、少し隆起しています。これが、「セタカ」の所以でしょうか。

 次は、「ワニガメ」です。ここのワニガメは、2匹展示されており、そのうちの1匹は、体長70㎝近くある超ビックサイズでした。また、別の1匹は、体長40㎝程で少し小さいのですが、超サービスシーンを見せてくれました。それは、「疑似餌」です。ワニガメは、そもそも池や川の底でじっとしている生態をしています。そして、口の中にある薄ピンク色のイトメみたいなものをひらひら動かして、エサである魚をおびき寄せます。私は、これを見れたので、非常に運がよかったです。

ガラス越しに見せてくれました。
サービス精神のいいワニガメでした。

 カメが多かったのですが、トカゲも充実していました。生き物系のユーチューバーとして有名な鰐さんやアニマルタイガさんらが実際に飼育しているトカゲに会うことができます。

ナイルモニターです。
気性の荒いトカゲですが、素敵な寝顔です。
ミズオオトカゲです。脱力しきってます…
ただ、来館時は脱皮中だったため、脱皮が終わるときれいに生まれ変わります。

 他にも、青いトカゲが展示されており、「ミドリホソオオトカゲ」「アオホソオオトカゲ」の2種が挙げられます。特に、アオホソオオトカゲ(学名:Varanus macraei)に注目してほしいです。別名コバルトツリーモニターと言い、トカゲの中で最も美しいトカゲと言われています。インドネシアのバタンダ島に生息し、2001年に新種登録されたトカゲ、つまり、意外に最近見つかったトカゲです。主に樹上で生活をするため、爪が鋭く、しっぽが長いです。しっぽの長さだけで、体の3分の2になるとも言われています。
 残念なことに、私が来館した時は、木のふち裏側に隠れており、ピカピカの青を見ることは、できませんでした。そのため、各動物園での紹介を載せましたので、ピカピカ度を確認してください。また、フィッシャーのシルクさんが、飼育されているそうで、偶然、手に入れることができたと言っており、日本で飼育することも可能です。
 しかし、このアオホソオオトカゲは、「絶滅の危機」にあります。その原因がどこにあるのか、私は、分かりませんが、ペット需要と現地の開発の影響だと考えられます。非常にキレイなトカゲなので、ペットとしてわが身に置きたいと思う気持ちは、よく理解できます。その上、生息している所が、極一地域になる固有種らしいので、開発とペット需要のダブルパンチで、絶滅へ一気に追い込まれやすいトカゲであるとも考えられます。私にとっては、飼いたいけど、彼らのことを思うと飼いたくないトカゲです。

ミドリホソオオトカゲになります。
アオホソオオトカゲです。
キレイな背中を向けてほしかったです…
いつか撮影しに行きます。

https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/nogeyama/details/rep62.php

 以上が、世界の爬虫類になります。特に、カメとトカゲを中心に書きました。ただ、地下部分では、紹介していないもの、できなかったものもおり、それらにも是非、会いに行ってほしいと思います。

4.日本石亀の川・モウリシャスジャポニカ川

 ここは、ニホンイシガメを中心とした日本の在来の生物が展示されています。また、天王寺動物園の爬虫類館で改修工事が行われたのは、このフロアになります。ニホンイシガメが生息する本来の環境に寄せた展示の構成になっています。この展示フロアの名前の「モウリシャスジャポニカ」は、イシガメの学名「Mauremys japonica」から名付けられています。

ニホンイシガメの幼生になります。
天王寺動物園生まれの個体です。

 生きたニホンイシガメだけでなく、ニホンイシガメの一生、生活環、どこで生息し、何故、減っているのかについて解説しています。特に、注目してほしいのは、「何故、減ってしまったのか」という点についてです。現在、環境省レッドリスト準絶滅危惧種に指定され、絶滅の危機にあります。
その原因は、主に、3つあり、「①ペット目的の乱獲」「②生息地の減少」「③外来種との競合・捕食」が挙げられます。②と③について解説します。
 まず、「②生息地の減少」では、開発が影響していることです。主要な生息地となる池や川が護岸工事により、流れが急になり、イシガメが生息するには、流れが強すぎる環境へと激変してしまったからになります。

ニホンイシガメがたくさん獲れた環境になります。
コンクリートで川の周りを固めてないため、流れの激しい場所へ逃げることができます。
*元の動画は ↓から
https://youtu.be/mvMSu0tPnuc
ニホンイシガメには、あまり適さない河川になります。
これでは、水が急にふえた時に流されてしまいます。
*元の動画は ↓から
https://youtu.be/AvOewX7YhG0

 護岸工事のような開発の影響は、生息地の減少に加えて、「生息地の分断」を招き、それが、ニホンイシガメの活動を大きく制限します。その結果、日光浴ができない、本来産卵場だった所が産卵に使えない等になり、結果、イシガメが子孫を残せない環境になってしまいます。
 また、大阪自然史博物館では、「ニホンイシガメの移動の記録」が展示されており、個体に番号を付け、獲れた地点を記録すると、ニホンイシガメは、1か所の池にいるのではなく、複数の池に移動していることが分かりました。その展示では、山の中を歩いて移動します。また、川はありませんが、だからイシガメは、川を利用しないことにはなりません。川が色んな池に繋がるため、川をインフラとして利用することが考えられます。その上、開発の影響で、イシガメが移動できなくなるとイシガメが閉じ込められ、交流がなくなり、繁殖も血縁の近いもの同士になってしまい、遺伝子の多様性が失われてしまいます。最終的には、イシガメを近親交配、内側から殺すことになってしまいます。さらに、里山そのものも管理がないため、イシガメに不向きな環境へとなってしまっています。
 そもそも、ニホンイシガメは、人里離れた山奥ではなく、人が創出した水田や里山を主な生息地にしています。水田を起点にして川、池、里山と繋がっています。これらが分断されてしまうと、ニホンイシガメは生きていけません。そして、そのような環境は、人による手入れがあって維持されます。人間の手入れがあいつつ水系がつながるからこそイシガメは生きていけるということを忘れてはいけません。

ニホンイシガメの移動の記録になります。
(*大阪自然史博物館のパネル展示を引用)
今の護岸工事は、水系の分断を招いてしまいことに本質的な問題があります。

 「③外来種との競合・捕食」では、ミシシッピアカミミガメに負けてしまうこと、アライグマが脅威になることが挙げられます。
 まず、ミシシッピアカミミガメは、イシガメよりも体が大きく、産卵回数も多い上、環境の悪化にも強いです。実際、東寺の池にアカミミガメが入り込んだ結果、ミドリガメが専有種になり、ニホンイシガメが激減したことが分かります。
 ここからは、私の推測ですが、「東寺の池にはあまり環境の変化がなかった」と仮定します。前述したように環境の変化にイシガメが弱いのは事実ですし、アカミミガメよりも開発の方が影響がでかいとの反論もあります。ただ、東寺の池にアカミミガメが入り込んだだけの場合、このデータは、アカミミガメの侵略性の高さ、排他性の強さをそのまま証明することになると考えられます。その上、クサガメ、ミナミイシガメも外来種のような他の外来種もアカミミガメの定着以降、激減しているため、アカミミガメが、他の外来種の脅威にもなりうることが分かります。つまり、開発が脅威ではないということを言うわけではありませんが、アカミミガメは、イシガメにとって大きな脅威になることを示す事例になります。
(*私は、昔一度だけチャンネル鰐さんにお会いしたことがあります。その時に、「飼育しやすいカメとは何か?」をお聞きしたことがあります。その時に、「ミドリガメ」と答えてもらいました。その時に、「あいつらは本当に死なないし強い」とも言っていたことを記憶しています。)

鈴木大『日本固有種ニホンイシガメの危機―外来⽣生物アライグマやミドリガメによる被害』
をもとに作成
鈴木大『日本固有種ニホンイシガメの危機―外来⽣生物アライグマやミドリガメによる被害』
をもとに作成

(*上のマーシーさんの動画で、カメの個体数調査が行われています。こちらも参考になります。)

 アライグマによる脅威は、「捕食」です。これは、イシガメの性格による所が大きいのですが、とても大人しく、臆病です。そして、甲羅の中に隠れることで大体の脅威は防ぎますが、外来種であるアライグマだけは違います。手先が器用で噛む力も強いです。よって、アライグマによって食べられるイシガメが多いです。これも私の考察ですが、アライグマもアカミミガメも北米原産です。特に、アカミミガメは、原産地ではワニのような天敵がおり、そして、水場も利用するアライグマも天敵になったのではないでしょうか。よって、天敵から身を守るため、アカミミガメは、かなり攻撃的な性格をしており、すぐに嚙んできます。一方のイシガメは真逆の性格のカメです。アライグマが、何の抵抗もしないカメがいると学習したら、イシガメばかりを狙うようになるのではないでしょうか。
 また、このブログを書くにあたり、イシガメについて文献で調べましたが、アライグマによる捕食を見ないことは、まずありませんでした。また、マーシーさんの動画で、河川でガサガサをし、ニホンイシガメを見つけてもアライグマにやられた個体がかなり見つかります。

イシガメの方がエサとして簡単に食べやすいため、イシガメによってしまう。

 ここまでで、ニホンイシガメの減少している原因について解説しました。しかし、天王寺動物園で本当に見てほしいのは、ニホンイシガメが減ってしまっている現状ではなく、ニホンイシガメの展示フロアそのものになります。ただ水槽を置いて、カメがいると見せるのではなく、実際の自然界で生息するカメの環境はどのようなものかというのを再現した展示です。私が面白いと感じた点は、「イシガメにあわせて背景を作った」という所になります。イシガメの甲羅は、茶色に黄色を混ぜた色をしているため、水場の石もイシガメの甲羅の色にあったものが敷かれています。イシガメ自身が擬態しているとは聞いたこことはありませんが、日本の川や池の底にあうように進化したのではないかと考えます。このような背景も再現された展示を見ると、カメそのものが施設の中でいればいいのではなく、「カメが生きていける環境自体を守らなければならばい」と思いますね。つまり、本当にマララなければならないのは、生き物それ自体だけではないということです。

ここが、二ホンイシガメの飼育スペースです。
日本の田園、池を想起させ、本来生息する二ホンイシガメの環境とはこういうものだと感じます。
赤い丸で囲ったのが、ニホンイシガメになります。
多い時は、4匹集まりました。

 私が、来館した時は、ニホンイシガメの幼体が展示されていました。成体も小さいのですが、幼体はもっと小さく可愛いので、是非、会いに行ってください。

ニホンイシガメの幼体です。

5.海洋堂とのコラボ

 私が、来館した時は、海洋堂とのコラボ展示が行われており、カメの模型の展示が行われていました。ニホンイシガメだけでなく、アーケロン、カミツキガメなどの模型が展示されてました。

ニホンイシガメは、お尻の部分の甲羅がギザギザしている所や鋭い爪を持っている所など、
非常に細かい所までこだわって作られていました。
また、この子は、メスです。

 私が一番面白いと感じた模型は、世界最古のカメである「オドントケリス」の模型です。背中の甲羅が未発達なところ、現生のカメには、歯がないものが多い中、このカメには、歯があるなどと現在分かっていることをもとにして再現されていました。

オドントケリスの模型です。
ニホンイシガメの模型と比べると面白いと思います。
口の中に歯があるのが確認できます。

 来館した時は、どの模型も実際のものよりもやや大きくされたものが展示されていました。どの模型も非常に緻密に作り込まれていました。

6.特別展:生物多様性展-ペンギンアシカ物語-

 天王寺動物園は、ペンギンとアシカを飼育しており、この2種の展示施設の改修をきっかけにして、ペンギンとアシカは、どのような生物か、彼らは、現在、どのような現状に置かれているのかを解説する企画展示が行われました。

主に、パネル展示と剥製展示が中心となっています。
ペンギンの剥製がありましたが、これは、全ペンギンの一部です。
ペンギンの種類が多いことが分かります。

・ペンギン 

 ここでは、ペンギンとは何者か、日本とペンギンの関係、天王寺動物園で飼育されているペンギンについて解説されていました。
 皆さん、ペンギンというとどのようなイメージがありますか?多くの方は、「海を泳ぐ」や「寒い地域に住んでいる」というこの2点ではないでしょうか?また、ペンギンの種類も非常に多く、全部で18種類いるとされています。下の図に全ペンギンの種類を載せました。ご確認ください。

天王寺動物園のパネル展示をもとに作成
全18種類いるとされているが、反論もある。

 ペンギンにおいて、注意してほしいのは、「ペンギン=寒い地域に生息する生き物」ではないということです。特に、南極のような極寒地に生息するイメージが強いですが、実は、18種類のうちの7種類のみが寒い地域に生息しています。つまり、ペンギンは、寒い所にはあまりいないということです。寒くない所に生息するペンギンは、足場が砂場や岩場などでごつごつとした所が主な生息地になります。そのような地域に生息するペンギンの代表格は、ケープペンギンフンボルトペンギンの2種が挙げられます。
 ケープペンギンは、南アフリカに生息するペンギンで、私が来館した京都水族館、ニフレルで展示されています。この両者のブログでは、来館当時何を見れたのかについて記述しています。是非、ご覧ください。

 天王寺動物園では、「フンボルトペンギン」が展示されており、そのフンボルトペンギンの生態と現状について解説されていました。

こちらが、フンボルトペンギンです。
(*東山動物園にて撮影)

 フンボルトペンギンは、南アメリカ大陸の太平洋側の岸に生息するペンギンで、生息地から見ると分かりますが、温かい所にも生息するペンギンであることが分かります。地面に穴を掘り、そこを生息地にすることもあれば、岩の割れ目を生息地にすることもあります。天王寺動物園では、自ら巣を作る光景が見られました。

赤枠部分が、フンボルトペンギンの生息地になります。

 日本で一番飼育されているペンギンは、実は、このフンボルトペンギンになります。その要因は、「日本と現地の気候が一致している」という点が考えられます。前述したように南アメリカ大陸で北から南まで広く生息しています。南緯ではありますが、緯度の数字だけ見れば、日本の緯度とも重なる所があるとも言えます。また、フンボルトペンギンが生息する現地の気候は、暖かいだけでなく、適度に雨が降る、季節の変化があるなどの特徴があります。これらの説明から、日本の気候と重なる所が多いと言えます。よって、フンボルトペンギンのために特別な設備を用意しなければいけないこともなく、日本の野外でそのまま飼育できることが考えられます。その上、日本全体でフンボルトペンギンは、1864羽(*2021年時点/JAZA加盟館での統計)います。この数からもフンボルトペンギンが、日本一と言われる理由も納得できますね。
 さらに、フンボルトペンギンは、「日本に最初に上陸したペンギン」でもあり、1915年に上野動物園と花やしきに来ました。1915年から、100年前に日本に来ており、日本は、ペンギンと歴史が深いこともわかります。
 ここで疑問に思った方もいるかもしれません。フンボルトペンギンは、日本に一番飼育されて、日本とのつながりも深いのに、「何がペンギン=南極の生き物とのイメージを作ったのか」ということです。それについても今回の企画展示で答えられていました。それは、「アデリーペンギンがペンギンのマスコットキャラクターとして使われた」ことに由来します。南極に行った船である白瀬が、アデリーペンギンを見つけ、その剥製や写真を日本に持ち帰ったことがきっかけです。それから、家庭用の冷蔵庫を売り出す時のマスコットキャラクターとして使用され、他の商品(EX:suicaなど)にも使用されるようになったそうです。ペンギンというと、白と黒のコントラストをイメージすると思われますし、私もそう思います。アデリーペンギンは、そのイメージに見事に合致していると思います。

こちらが、アデリーペンギンです。
(*名古屋港水族館にて撮影)
Suicaのペンギンです。
これは、アデリーペンギンですね。

 しかし、フンボルトペンギンは、今、絶滅の危機にあり、IUCNレッドリストでは、「危急種」に指定されています。エサとなる小魚の乱獲、繁殖地の減少が理由になります。日本では、増えすぎというくらいおり、日本で見られることはまずないと思います。しかし、日本で見れるからいいという問題でもありません。私たちの行いが、ペンギンを苦しめているということも知らなければなりません。

・アシカ

 天王寺動物園では、アシカも展示されています。カリフォルニアアシカが展示されています。骨格標本が展示されており、オスのものだと思われるので、非常に大きかったと記憶しています。

こちらがカリフォルニアアシカになります。
写真は、メスだと思いますが、オスは、メスの2倍の大きさがあり、バカでかいです。
(*東山動物園にて撮影)
こちらがカリフォルニアアシカの骨格標本です。

 私が、このアシカの展示、この特別展示で一番注目したのは、「二ホンアシカ」の展示です。今は絶滅したと考えられている二ホンアシカですが、実は、日本人と非常に関係の深い生きものでした。

こちらが二ホンアシカの標本です。
私は、この個体を含めて2回しか見たことがありません。
つまり、超貴重標本です。

 二ホンアシカとの関係の深さは、最近のことではありません。なんと、古くは、縄文時代から利用されており、考古学では、多くの遺跡から二ホンアシカの出土が確認されています。縄文時代では、北日本での利用が多く、浜中2遺跡(*北海道の遺跡)からは、最小個体数で160体分の利用が確認され、弥生時代では、原の辻遺跡(*長崎県の遺跡/『魏志』倭人伝に記された「一支国(いきこく)」にあたるとされる遺跡です。)から二ホンアシカの骨の出土が確認されています。つまり、古くから日本全国で利用されていたということです。

*最小個体数:遺跡から出土した同一種の同一部位の骨を数えることでその遺跡では、「少なくともこれくらいはいただろう」と遺跡での個体数を推測するもの。
例:A遺跡からシカの骨が100個見つかったとするが、頭骨が5体分確認された。その場合、A遺跡では、5体分のシカがいたとするもの

 二ホンアシカに限らず、アシカやアザラシのような海生哺乳類は、大型なものが多いです。そのため、縄文時代、弥生時代のような先史時代では、食料としての価値は高かったと考えられます。その上、当時は、食用以外の用途でも二ホンアシカは利用されていました。それは、生活用の道具、あるいは、精神的価値としての利用になります。
 生活の道具としては、犬歯は、釣針としての利用が多く、銛頭、ヤス、針として利用されてることが多かったです。一方、精神的な価値としての利用では、装身具あるいは儀式的な意味あいが求められて利用されました。この精神的な価値としての利用が非常に面白いです。
 二ホンアシカの「オスにのみ」頭蓋骨に穿孔(穴をあける)されているものがあり、出土した遺跡のオスの半数以上でそれが確認されています。この「オスにのみ」という点から、食用目的以外の利用が考えられ、儀式的な利用が考えられます。装身具としての利用も確認され、犬歯や環椎などの骨に何らかの模様がつけられていたものがあります。
 装身具としての利用は、下の図の骨を勾玉のように利用されていたことが想定されます。下の図は、オオカミと軟骨魚類の椎骨(*地域によっては、サメの歯が利用されていました。)です。両者は、「人間を襲う」という共通点があり、それらを「拳で(?)」倒せた人間は、当然強い人で、その村では、尊敬の対象となります。よって、「社会的な地位の象徴」あるいは、「権威材」としての利用が考えられます。「装飾ある骨=権威材」となるとは限りませんが、二ホンアシカも「食べておしまい」ではなく、食べる以外の利用、人間の精神的な世界の道具、つまり、信仰や宗教の一面としても利用されていたことが分かります。

左がオオカミの骨、右が軟骨魚類(の骨ですが、中央部分に穴が開いているのが確認できます。
(*軟骨魚類の骨は、3㎝ほどの大きさになるため、そこそこ大きいサメの骨だと考えています。)
これは、下の図の勾玉のように利用していたことが考えられます。
二ホンアシカの装飾がされた骨もこのような利用だったのではないでしょうか。
(*朝日遺跡ミュージアムにて撮影)
(*朝日遺跡ミュージアムにて撮影)

 先史時代以降でも二ホンアシカは、利用されており、江戸時代では、『和漢三才図会』で日本各地に生息していたことや油を利用していたことが記録されています。明治時代になると、毛皮を輸出し、外貨を獲得する目的から、野生の動物が捕獲されました。ニホンアシカもその一つでした。明治時代の日本は、まだまだ国力が弱く、欧米列強に対抗できる産業も十分に育ってないなどの理由から、動物の毛皮の輸出が積極的に行われました。その上、今のような生き物の保護、資源管理の考えもあったとは言いづらい世の中だったため、獲れる分だけ獲るような猟が行われたと考えられます。この乱獲を原因として、二ホンアシカは大きく数を減らすこととなりました。つまり、乱獲を原因として、二ホンアシカは絶滅したと考えられます。

こちらが、『倭漢三才図会』です。
ここの記述は、トリカブトの内容の記述ですが、江戸時代の百科事典のようなものです。
(*大阪自然史博物館の毒展にて撮影)

 思うに、海鹿とは海獺のことである。ただし、『本草綱目』(獣部、獣類、海獺)に、頭は馬に似ている、とあるのだけが海鹿と違っている。紀州に海鹿島というのがあって、ここに多く群居している。常に眠るのを好み、島の上にあがっていびきをかいて睡る。その際、ただ一頭だけは四方を見張っていて、もし漁舟がくればみんなを誘い起こし、悉く水中に転び入り、非常に早く深く潜るので、捕まえにくい。肉は甘美ではなく、ただ炒った油が燈油として使えるくらいである。西国の各地にもいる。その声は、ほぼ犬に似ていて、於宇と鳴いているように聞こえる。思うに、海獺と海鹿とはほぼ同一物であるが重ねてここに出し、考合の参考とすることにした。

寺島良安『和漢三才図会(6)』(島田勇雄 訳注) 平凡社 1987年 より引用 

 二ホンアシカに関する話は、これだけでなく、戦前の天王寺動物園では、二ホンアシカが飼育されていた記録があります。また、新しくなる前のアシカ池で二ホンアシカが飼育されていたそうです。その上、「リャンコ大王」という「日本海一の巨獣」として非常に巨大で狂暴なオスのアシカで猟師を襲うアシカがいました。そのアシカは、猟師との壮絶な戦いの後に撃ち取られました。これは、当時は大きなニュースになり、新聞で報道されました。そのリャンコ大王は、天王寺動物園で保管され、しばらくした後に二ホンアシカとして再発見され、今は、島根県立三瓶自然観サヒメルにて展示されています。このリャンコ大王の剥製は、捕獲記録があり、捕獲された当時の記録と再発見された当時の記録が一致し、確実に二ホンアシカであるといえる非常に貴重な標本です。

 アシカについて長く書きすぎましたが、ここまでの内容で、二ホンアシカが日本と深い関係、つまり、日本において、二ホンアシカは身近な存在であったにあることが分かると思います。しかし、1975年以降の目撃情報を最後に確認されておらず、絶滅した可能性が高いと考えられます。今大事なのは、クローン技術などで蘇らせる、又は、どこかに生きているであろう二ホンアシカを見つけることではなく、「何故、絶滅したのか」を正しく知り、二ホンアシカのような悲劇を作らないことです。今は生きてなくとも「教訓」として生き続けなければならないのが、今の二ホンアシカではないでしょうか。

7.まとめ

 以上が、天王寺動物園のアイファーと特別展示の内容でした。同時期にニューアルオープンしたものと特別展示に同時に行くというのは、中々ない経験でした。
 今回は、ペンギンと二ホンアシカとニホンイシガメが印象に残りました。
 ペンギンでは、普段持っているイメージがかなり変わるようなことが多かった上、うる覚えだったことが、より強化され、非常に勉強になりました。
 二ホンアシカは、古くから利用されており、関係は長く続いていたことが、想像していた以上の長さであること、以外にも身近な生きものであったことに驚きました。だからこそ、絶滅したことが残念でなりませんし、生きている姿が見たいです。しかし、絶滅をリセットすることはできません。二ホンアシカを含め、絶滅した動物たちは、クローン等で生き返らせることよりも絶滅した理由を正しく知り、同じことを繰り返さないための「教訓」として生きなければならなりません。つまり、私は、絶滅した動物から求められるのは、「生きている姿をもう一度目にする」という姿・形あるものをただ取り戻すことよりも「反省」することで、社会や人々の意識を変えるきっかけになることの方が大切だと思います。
 一方、二ホンイシガメは、絶滅の可能性があるものの各動物園・水族館で保全活動が行われています。その上、2023年6月からミシシッピアカミミガメに対する新たな規制が始まる上、ミドリガメを野外に離さないようにという啓発も活発に行われています。そういうことを考えると、ニホンイシガメが、絶滅の危機を脱する可能性はあります。
 イシガメ以外でも絶滅の危機にある生物はたくさんいます。そのような生物に会った時、知った時に、二ホンアシカのことを思い出し、「同じことをしていけない、どのようにしたら、二ホンアシカのようなことを防げのか」ということが考えられるようになると、二ホンアシカは、「教訓」として生きていることになるのではないでしょうか。
 「絶滅した生きものから何を学び取るのか」、そして、「絶滅しそうな生き物をどう守るのか」という2つを同時に学び、考えることのできる展示を今回の来館で見ることができ、非常に学びになったと感じました。

 次の特別展示もあると思いますし、それが楽しみなので、その展示についても見たいです。以上になります。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

*おまけ
ニホンアシカについての参考文献・資料を載せるのを忘れていました。
下記にそのリンクを載せます。

縄文時代の考古学 4 / 小杉 康/谷口 康浩/西田 泰民/水ノ江 和同/矢野 健一【編】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア (kinokuniya.co.jp)


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