漢方「医学」は存在しない

今年の第73回日本東洋医学会学術総会では、会員から「私の好きな処方」を募集したという。



薬というのは、「好き嫌い」で処方するものか?



たまたま発熱外来に市中肺炎の患者が来た。私が選択したのはサワシリンとオーグメンチンだ。「何故貴方はこの2つの抗生物質を選択したのか?」と聞かれて私が「好きだから」と答えたら岩田健太郎先生にハッ倒されるだろう。サワシリンは古典的なペニシリン製剤だが市中肺炎の起炎菌の主流である肺炎双球菌に充分な殺菌作用があり、かつ比較的narrow spectrumだから多剤耐性を起こしにくい。しかし市中肺炎の肺炎双球菌の中にもベータラクタム耐性を持つものは多いから、クラブラン酸を含むオーグメンチンを合わせる。



これは私が考えても研修医一年生が考えても同じ結論にたどり着く。それが科学的な臨床医学なのだ。



私を「高齢者医療における漢方診療のナンバー1」だといった人がいる。断じて否だ。



私は抑肝散が認知症のBPSDに有効であることを証明した。物事を発見し、証明するためには一定の才能やひらめきが必要だ。しかしいったん証明されたら、抑肝散は何処のどんな医者でもBPSDに使うことができる。



無論、不勉強な医者は誤りを犯す。ある医者は認知症の陰性症状である鬱や閉じこもりに抑肝散を使い、ついに患者を低栄養と脱水で生きるか死ぬかという羽目に陥らせた。それはその医者が「抑肝散はBPSDに有効だそうだ」というのをおそらくツムラの講演会か何かで聞きかじっただけで、原著論文をよく読んでいなかったからだ。原著論文に掲載されているグラフをきちんと見れば、有意差が付いたのは興奮や易怒などの陽性症状だけで、鬱や無気力などは改善しないことが分かったはずだ。



このように、幾らエビデンスがあってもそれをきちんと正確に理解していなければ、誤った治療をしてしまう。しかしそれを避けるために必要なのは「エビデンスをきちんと吟味する」事であって、ただ症例を積み重ねることではない。100人診ようが1000人診ようが、エビデンスをきちんと吟味していなければ、その人は何度でも同じ間違いを犯す。



私が英論文で報告した抑肝散も半夏厚朴湯も加味帰脾湯も、「私にしか使えないオンリー1」はない。私にしか使えない処方なんか発表する意味はない。私しか使えないんだから。



そうではなく、きちんと論文に示した対象者に対し示された通りの使用法をすれば、誰でも同じようにその薬が使えますよ、と言うのがエビデンスであり、そうだからこそその結果は論文として報告するに値する。再現性こそ科学の基本だ。



オンリー1だナンバー1だ、私の好きな処方だというのは、日本漢方が完全にサイエンスではない何かであることを示している。漢方の達人というのはいるのかもしれないが、「漢方医学」は存在しないのだ。

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